『徒然草』は鎌倉時代の元祖「まだ都で消耗してるの?」ブログだった

当ブログのタイトルは『徒然草』の第11段から拝借している。

(原文)

閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあはれなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるがまはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

(口語訳)

(山里にたたずむ庵を見つけて)閼伽棚に菊や紅葉の枝がおいてあるので、だれか住んでいるのだろう。こんなふうにしても暮らしていけるのだなあ、と感心して見ていると、庭先に実がたわわになったミカンの木があり、周りを厳重に囲ってあった。少し興ざめして、この木がなかったらましだったのになあ、と思ったものだ。

おそらく中学か高校で国語の教科書に載っていたのだと思う。なぜかこのフレーズだけよく覚えていて、人の質素な暮らしぶりを見るとたびたび脳裏によみがえる。あらためて原文を読むと、なかなか含蓄深いテキストであることがわかった。

柑子の木が意味するもの

今どき風に読み替えると、「シンプルでちょっといい感じのミニマリストブログを見つけたが、中を見てみるとアフィリエイト広告がべたべた貼ってあって、がっかりした」という感じだろう。

いくら浮世離れした仙人といえども、霞を食うだけでは生きていけない。庵の住人も空中プランクトンや羽虫を食べるだけではカロリーが足りないので、ミカンを栽培していたのだろう。「それはそれ、これはこれ」という話だが、背景を想像すると二重の意味で楽しめる。

  1. 庵の住人が自称ミニマリストで、自給自足の質素な田舎暮らしを売りにしている有名人だったとする。
    都から取材に来たライターの兼好法師が、ミカンの木やまわりの柵を見つけて、「なんだ、世捨て人を気取っているのは口先だけだな」と蔑んでいる。
  2. 庵の住人は別に文化人でも教養人でもなく、ただ普通にそこに住んでいるだけの地元の人だったとする。
    エッセイのネタを探しに都から旅してきた兼好法師があばら家を見て、「おっ、これは無常観ネタに使えるぞ」と勝手に見立てたうえ、ミカンの柵を見て「いったん持ち上げてディスる」方法を思いついた。当の住人はまったく関係ない。

実際の状況としては、おそらく後者の可能性が高いだろう。

英訳から推測する「あはれ」の真意

「かくてもあられけるよ」の前後に「あはれ」という形容詞が二重に出ていて、いまいちな文章に見える。「もののあはれ」というと、よく知られた「しみじみと趣深い=すばらしい」というポジティブな意味を連想する。しかしこの11段では、田舎者への軽い侮蔑も込めて「かわいそう、気の毒」という意味が強いように思う。

ドナルド・キーンが英訳した文章によると、

One can live in such a place(こんな場所でも暮らせるのだなあ)

英語圏の人には、ここでの「あはれ」が、poorやterribleくらいの意味に受けとめられたのではなかろうか。”in such a way”という慣用句で人を評するとき、そこにはちょっとした軽蔑が暗に含まれている。

たとえばシェイクスピアの『あらし』で、ミランダが新世界を見て”That has such people in’t”と感嘆するシーン。peopleにかかるsuchが「こんな者たち」と見下したニュアンスを含んでいるように思えてならない。

11段の活用法としては、ラストの「少しことさめて」というオチを強調するために、不自然なくらい「あはれ」「あはれ」と2回も続けてほめ殺ししているように見える。こういう諧謔のテクニックは昔からあったのだと知って感心した。

今も昔も変わらない

吉田兼好もあえてこんな文章を残さなければ、後世で知られることはなかったはずだ。おそらく当時の特権階級で、遊んでいても食うには困らない身分だったと推測される。しかし、よほど暇だったのか、書かずにいられなかったから日記みたいなものを残したのだろう。

結果的に日本三大随筆に数えられ、700年後の教科書に載って子どもたちに暗唱される始末。本人が知ったら恥ずかしくてたまらないかもしれない。

『徒然草』を読んでいると、「今も昔も人間の考えることは変わらないんだなあ」としみじみ思う。毎日働いて稼ぎ、酒を飲んで酔っ払って寝る。学校や会社のコミュニティーがあって、人間関係で悩んだりする。恋愛やお金のことが気になって仕方ない。

著者の吉田くんも、13世紀の京都に住みつつ最先端カルチャーを満喫していたシティーボーズだったことだろう。和歌四天王にも数えられた歌人だから、当時有名な芸能人であったことは想像に難くない。無常観エッセイを書いている当の本人が、活動的すぎて全然悟っているように見えない。

20世紀から21世紀になっても、パソコンやスマホが身近になった以外、人間の生活や考えることはたいして変わらない。こんな感じで時代をさかのぼれば、江戸時代や鎌倉時代の人も「仕事がつらくてやめたい」とか「お金を稼ぎたい」「女の子にもてたい」みたいな、今と変わらない悩みを抱えながら生きていたのではないかと思う。そう考えると、今まで興味がなかった歴史にも親しみを覚えられる気がする。

数100年の時を重ねても、人類が勝手に進化したり文明が発展するわけではない。むしろ精神的には退化して、ある部分では「明治時代の方がましだった」といえる側面もあるかもしれない。『徒然草』も、口調は違えど当時の人気作家かブロガーみたいな人が書いたベストセラーだったと想像すると、親近感をもって読める。

ただ、一見して違和感を覚えるのは、作品全体に「無常観」という価値観がしつこいくらい強調されている点だ。当時の知識階級は仏教に傾倒しすぎて、「お金を稼いで有名になる」よりも「とっととくたばって潔く消える」という武士道みたいな精神を崇拝していたのだろうか。

元祖「まだ都で消耗してるの?」ブログ

いや、人間の本性からするとちょっとおかしいから、「ハイカラな仏教をかじって世捨て人を気取る」というファッションが流行っただけではないかと推測される。

実は兼好法師が当時の有名ニートで、「まだ都で消耗してるの?」的なブログを書いていたと想像するとおもしろい。『徒然草』を読むと、なぜこの著者はこれほど京都の風習を蔑みながら、しぶとくそこに居座っているのだろう、と不思議に思う。

一話完結のショートストーリーという形式からして、これは古代のブログだったのではないかと思う。ツイッターみたいなメッセージも、きっと木簡でやり取りしていたのだろう。ときどき平城京で落書きみたいな木簡が出土するのは、その名残と思われる。

何かそういう普遍的なおもしろさというか、時代を経ても共感できる特徴を有するからこそ、江戸時代になっても写本が読まれ続けたのだろう。受験勉強の教科書で読むより、大人になってからの方がもっとその魅力がわかる『徒然草』。枕元に置いてときどき読み返すのもおすすめだ。