『新・観光立国論』の著者デービット・アトキンソンは、元ゴールドマン・サックスのアナリストで裏千家の資格を持ち、国宝修復会社の社長を務める異色のイギリス人。
外国人から見た日本の観光政策の間違いを、さまざまなデータとカルチャーギャップから痛烈に批判する本だ。「おもてなし」というコンセプトに違和感を覚える人には、共感できる部分がたくさんあると思う。
本書ではGDPと人口の相関性、観光業の GDP寄与率が先進国の中で相対的に低い点、世界的な観光市場の拡大傾向から、外国人観光客誘致の必要性が説かれている。サービスを差別化して欧米の富裕層を呼び込むマーケティング戦略は、論理的にも筋が通っている。
しかし2020年のコロナショックにより、こうした前提がすべて白紙になってしまった。2015年出版時点の将来予測を振り返るとともに、コロナ後の世界でどういう観光サービスがあり得るのかも考えてみたい。
観光産業はGDP向上の切り札
ある程度、経済基盤の整った先進国において、「GDPと人口には強い相関関係」が認められている。
ほかにも労働生産性向上や、女性の社会参加(ウーマノミクス)でGDPを上げられる余地はある。しかし歴史的にみて、直接的な人口増加ほどの影響力はない。
日本が戦後に高度成長できたのも、大正時代に築いた世界第5位のGDPレベルに加え、ベビーブームに象徴される人口激増が寄与した結果と著者は分析している。
ちなみにアメリカは移民を積極的に受け入れたため、日本をさらに1.6倍上回るペースで人口が増えた(2013年/1945年の比率)。
しかし米国のGPD伸び率は日本の5分の1にとどまるので、単純に人口だけでGDPが決まるとは言い難い。あくまで「両者に正の相関がある」という程度の認識だ。
短期移民なら国内の抵抗は少ない?
今後の人口減少を前提とすれば、GDPを維持~向上させるのに「移民の受け入れ」は手っ取り早い解決法といえる。移民による経済成長はアメリカ・カナダ、ヨーロッパの各国でも実証されている。
しかし日本国内で移民政策に対する強い拒否反応があるほか、語学や風習など外国人にとっても日本移住のハードルは高い。それをクリアするために、短期移民すなわち外国人観光客を増やすことでGDPを押し上げようというのが、本書のコンセプトになっている。
日本で働かずに消費するだけなら語学の習得は不要。ゲスト(お客様)として受け入れるなら、仕事を奪われるという雇用上の懸念もなくなるのではないか。
外国人を移民ではなく観光客とみなせば、国内の感情的反発も少なく済むという打算が込められている。
日本のGDPにおける観光収入比率の低さ
世界的に見て日本はまだまだ観光後進国だが、その分、成長の伸びしろは大きいと著者は分析する。
国連世界観光機関(UNWTO)によると2014年、全世界のGDPにおける観光産業の割合は9%。日本ではこれが2%しかないので、観光業のGDP寄与率を世界平均に近づければ大きな経済効果を期待できる。
同様にGDPに対する観光収入比率(外国人観光客による)も日本は0.4%。欧米各国に比べて4分の1程度しかない。
さらにGDP比率でなく国際観光収入の絶対値で比較すると、日本は世界で21位。国際観光客到着数は26位になる(以上は世界銀行の2013年データ)。
観光収入はタイやマレーシア、インドにも及ばず、観光客数はクロアチアやハンガリーと同レベル。ほかの産業に比べて、日本の観光産業は大幅に出遅れている。
日本の観光業は潜在能力が高い
このギャップがなぜもったいないかというと、日本は「気候・自然・文化・食事」という観光立国の基礎的4条件を持っているからだ。
食事がまずいイギリス、歴史のないアメリカ、気候の多様性がないタイなどに比べて、日本はもとから有利な条件をそなえている。ビーチもスキー場もあり、古建築や伝統芸能も豊富、さらに定評の高い日本食も体験できる。
これだけ好条件のそろった国は世界でもめずらしいのに、観光客数・観光収入はともなっていない。外国人の来訪をさまたげているネガティブな条件を取り除き、観光サービスやインフラを整えれば収入もアップするというのが著者の目論見だ。
努力不足か目標の間違いか
日本の観光業が発展しない理由のひとつは、単に「力を入れていない」というだけのこと。
観光サービス自体に卑しいイメージを持ち、工業やほかの産業より下に見ている。鎖国や輸入制限といった歴史的経緯からしても、外国人が日本に入ってくることに慣れていない(拒否反応がある)という風潮がある。
しかし海外の先進国は観光を成長産業と認識して、20~30年前から積極的に投資・整備を進めてきた。その結果、観光関連のロジスティクスやマーケティングなど基本的な能力で大きく差がついてしまった。
2つ目の理由は近年、日本も観光客誘致にがんばっているものの、努力の方向性を間違っているという問題が挙げられている。
国も自治体もアピールしている「交通アクセスや治安のよさ」などは、観光客にとって二次的な評価要素にすぎない。治安のよさを体験するためわざわざ日本を訪れる外国人など、いたとしてもごく少数のマニアでしかない。
あくまで観光客の求める「気候・自然・文化・食事」の4要素を正しく提供することが大事で、アニメやファッション、クールジャパン戦略も相対的な優先度は低い。
ニッチなロングテールばかり狙わずとも、文化財や自然景観という王道的な観光サービスを提供すれば素直に観光収入は上がるはず、と著者は考えている。
外国人が「おもてなし」から受ける違和感
日本の国際観光政策における勘違いを象徴しているのが「おもてなし」というキャッチコピーだ。
東京オリンピック招致におけるIOC総会でのプレゼンテーション、滝川クリステルの「お・も・て・な・し」と発音を区切ったスピーチに違和感を覚えた人も多いと思う。国内ニュースではなぜか賞賛されているが、見た瞬間「うわっ、これは恥ずかしい」と感じた。
こういうパフォーマンスは「ゆるキャラ」と同じで、客観的には子どもじみて見える。わかりやすいというより「相手をなめている」というネガティブなメッセージが伝わってもおかしくない。イギリス人のデービット・アトキンソンからしても否定的な印象を受けたようだ。
結果オーライな自虐的プロモーション
なぜ「おもてなし」というキャッチコピーが寒々しいかというと、具体性をともなわない精神論であるため。国際的に日本のホスピタリティー産業はレベルが低いとみなされているので、自国のサービスを自画自賛するのは皮肉な逆効果しかもたらさない。
結果的にオリンピックの招致は成功したので、「おもてなし」という標語が国内で広まることになってしまった。うがった見方をすれば、「日本という国はクレイジーで訳がわからない」という外国人の認識にあわせた自虐的プロモーションなのではないかと思う。
その意味で滝川さんのおもてなしスピーチも、「日本は変な国」と世界的にアピールするには役立った。ただしそれで観光客が増えるか効果は期待できないと思う。
観光マーケティングの必要性
ふわっとした「おもてなし」などというスローガンではなく、着実に観光客と観光収入を増やす方法。それは外国人に対して正しくマーケティングを行うことだ。
どこの国、どんな人に、いつ、何を見せて、何日滞在させて、いくらお金を払ってもらうか…。顧客をセグメンテーションしてターゲットを定めたうえ、的確なプロモーションで情報発信する。
この基本的なビジネスのやり方を観光業に適用すればいい、今までそれがなされていなかったのが最大の問題だと著者は指摘する。
欧米VIPの受け入れ戦略
特に観光収入を増やすためには、すでにある程度来ている中国~アジア圏の観光客を増やすより、欧米の超富裕層を招く方が効率はよい。そのため本書の具体的提案はVIP向けの差別化サービスに集中している。
遠方から来日すれば必然的に滞在型観光になり、宿泊や食事で落とす金額も大きくなる。そしてアメリカやヨーロッパの人々が日本観光で期待するのは、自然景観や文化体験。食事やショッピング(爆買い)のために訪れるアジア人観光客とは、旅行の目的が大きく異なる。
欧米人の富裕層をターゲットにするなら、彼らの満足する高級サービスを提供する必要がある。具体的な提案としては、以下のような方策が挙げられる。
- 均一価格帯のビジネスホテルだけでなく、多様な料金設定のホテルを整備する(特に1泊500万以上の超富裕層向け)
- 行列が発生する観光地やイベントでは、別料金のVIPレーンやファストパスを用意する
- そもそも繁忙期や一過性のブームは長期的な設備投資をさまたげるため、ゴールデンウィークは廃止する
- 説明がないハコモノ展示の文化財に、人間ドラマの行動展示を導入する。多言語ガイドを充実させる
文化財の観光コンテンツ化
日本の文化財補修予算はイギリスの10分の1しかない。単なる現状維持が目的なので、これを欧米諸国並みに「観光コンテンツ」として積極的に活用する意義が説かれている。
著者が国宝・重要文化財の補修をてがける会社の代表であるため、最後の提案にはポジショントークが含まれている。しかし知的水準の高い外国人富裕層に対して、日本の文化や歴史をわかりやすく伝える戦略は間違っていないと思う。
単純に予算配分の問題として、「ゆるきゃら」やB級グルメに投資するよりは、地方の文化財を観光客向けのエンターテイメントとして整える方が優先度は高い。
訪日外国人を増やして観光収入をアップさせ、人口減少に逆らいGDPを底上げするには、これがもっとも有効な戦略だと著者は主張している。
本書を読んで論理的には間違っていないが、国民感情として短期でも移民推進のコンセンサスを取るのは難しそうな気がした。そして2020年、コロナショックが起こってしまった。
コロナショック後の観光産業
4月末現在、新型コロナウイルスによる経済損失は1930年代の世界恐慌に匹敵するといわれている。ワクチン開発が進みウイルスとの共存体勢が整うまで、まだ2~3年以上かかるという見方が濃厚だ。
緊急事態宣言で営業自粛を余儀なくされた飲食店やイベント産業と比べて、観光産業はもっとも深刻なダメージを受けると予想される。
国内でコロナ対策がひと段落してもインバウンドは戻ってこない。外国人からの感染リスクがある限り、素直に旅行者を受け入れるわけにもいかない。
続々経営破綻する国内ホテルチェーン
高級カプセルホテルチェーンを運営していたファーストキャビンが4月24日に倒産。3日後の4月27日には、地方に多くホテルを開業していたWBFホテル&リゾーツが破たんしてニュースになった。
京都市内のゲストハウスは「45%が廃業~検討中」と報道されている(Yahoo!JAPANニュースより)。
今回のコロナショックは観光産業への悪影響が大きすぎて、現時点ではほとんど復興の見通しが立たない。過去の東日本大震災や熊本地震とは比較にならないスケールで、経済クラッシュが起こっている。
宇宙の法則が乱れる
デービット・アトキンソンの『新・観光立国論』では、年間平均3.3%ペースで拡大し続ける国際観光客数というデータが前提となっていた。的確にマーケティングして観光インフラに投資すれば、「2030年に訪日外国人8,200万」という目標も達成可能だったかもしれない。
しかしアフターコロナの世界では、海外旅行が宇宙旅行のように一部の富裕層向けレジャーになってしまう気がする。商談や打合せもオンラインで済ませる文化が浸透すれば、MICE(Meeting, Incentive Travel, Convention, Exhibition/Event)目的のビジネス出張も激減するだろう。
地方においては観光庁が推進してきたDMO/DMC(Destination Management Organization/Company)の枠組みも意味がなくなる。日本人の外国人に対する拒絶感情は、ポストコロナでさらに高まりそうだ。
ポストコロナの観光商品案
もし旅行というのが人間の根源的欲求にもとづくと仮定すれば、世界の観光需要がゼロにはならないと思う。「死ぬまでに見たい世界の絶景」が不要不急の趣味かというと判断に迷う。
感染症対策を徹底してクリーンな環境を売り文句にした観光地から、徐々に客足が戻ってくるかもしれない。いつまでもコロナの封じ込めが成功できない国との間で格差が生じ、世界の観光大国勢力図が塗り替わる可能性もある。
そういった意味では、現状でコロナの感染者が比較的少ない日本が観光業で挽回するチャンスはありそうな気がする。医療ツーリズムの延長で、コロナウイルスの免疫獲得者を対象とした日本食・健康ツアー、滞在型療養プランなど打ち出してみるのはどうだろうか。
文化財コンテンツは有望かも
また本書で主張されているように、城郭や古建築といった遺跡は100年単位でコンテンツになり得る観光資源だ。先を見越して整備に投資しておけば、長期的なリターンをもたらしてくれるかもしれない。
富裕層目当ての高級ホテルや統合型リゾート(IR)といった小手先の開発よりも、将来的に価値を生むコンテンツ自体をてこ入れするのが大事。マーケティングだけ先行しても、ツーリスト・トラップとして観光客を落胆させる逆効果になってしまう。
観光市場が大幅縮小して旅行というカルチャー自体が変わってしまっても、国宝や重要文化財の国際的な価値は減らないだろう。コロナ禍を機にして、単価の安いアジア人から欧米富裕層向けにターゲットを切り替えるのもありだと思う。