ロマサガRSというソーシャルゲームをやめてから半年経った。
今でもたまに攻略サイトを見て情報をチェックしたりすることはある。しかしどれほど暇でも酒に酔っても、アプリを立ち上げることは二度とない。
さいわいゲーム依存症は薬物と違って、短期間で自己治癒できるものなのかもしれない。
あらためてソシャゲを卒業した経緯を振り返ってみようと思う。
(2020年1月14日更新)
ペット捕獲イベントで挫折
ロマサガRSが嫌になった直接の原因は、2019年6月21日から開始された「ペット捕獲大作戦」というイベント。
正月休みに開催された餅集めイベントからして、季節ごとのミッションは達成条件がきついと感じていた。しかし今回のペット捕獲は段違いの難易度だった。
「頭を使う」という意味での難しさはないが、メダルのドロップ率と報酬交換の必要量、およびイベント開催期間というパラメーターの組み合わせが狂っていた。
期間中にすべての報酬アイテムをゲットするには、一日中スマホにかじりついてプレイしないと間に合わないほど。たとえ廃人でも体力には限界がある。
ミッションコンプリートという強迫観念
いかに強力なパーティーを育てていたとしても、自力で何とかできるのはバトル時間を短縮して周回効率を増すことだけ。
アイテムのドロップ率は一定なので、どれほど廃課金している猛者・亡者でもコンプリートまで数十時間は要するように思われた。
どんなくだらないミッションでも、課題を出されると全クリアしたくなるのがRSプレーヤーのサガ。
報酬はせいぜいオーラムやスタミナ回復剤というザコだったとしても、期間中に全部集めなければ損した気分になる。
そう思って半年間、毎日数時間プレイしてデイリー・ウィークリー・各イベントミッションを律儀にこなしてきた。
しかし6月末の教授イベント「ペット捕獲大作戦」だけは、どう考えても無理だった。
※実はその後、救済措置としてイベント開催期間が延長されたらしい。さすがに条件が厳しすぎて例外的に緩和された模様。このあたりの柔軟な対応はオンラインゲームの特徴といえる。
周回バトルがきつすぎる
他のソーシャルゲームはプレイしたことがないので比較できない。
ロマサガRSの特徴はキャラ育成に要するバトル回数が尋常でないという点だ。毎週のように出てくる新イベントごとに、何百回にもおよぶ周回バトルが要求される。
かろうじてオートで戦闘をこなせる機能は実装されている。しかしバトル終了後に「再戦」ボタンを押す部分までは自動化されていない。
ゲームバランスを保つ理由か、ユーザーをクリック依存状態にさせるためか、目的は不明だが作為的な仕様であることは明らかだ。
チートツールのジレンマ
対策としてスマホをパソコンにUSBケーブルでつなぎ、マクロや自動クリックツールを利用する手段もある。
しかしそのようなチート技は規約上グレーなので、アカウント停止のリスクは免れない。実際5月にはマクロ使用者がBANされたという噂も流れていた。
たとえ外部ツールを使ったとしても、ゲーム中に電話やパソコンが使えないというのは不便きわまりない。
極端な場合、PCツールで自動周回させているためスマホを持って外出できないというジレンマに陥る。
端末を何台も保持している富裕層や廃人でない限り、チートツールは引きこもりを促進する結果につながってしまう。
通常プレイからガチャへ
仮に周回バトルがむなしくなったとしても、ソシャゲには「ガチャ」という強力な麻薬が存在する。
たとえ無課金プレーヤーであっても毎日コツコツ修行していれば、たまに10連回せるくらいの無料ジュエルをもらえるのがミソだ。
常設・限定ガチャの報酬を見きわめて、慎重に無償ジュエルを投資するというのはスリリングなギャンブル。
もう少し待てばもっといいキャラが出てくるかもしれない。だが今のうちにフェス限定スタイルを押さえておかないと、あとで後悔するかもしれない。
そしてこの6月はハーフアニバーサリー関連で、魅力的なガチャが一挙に出てきた。ソシャゲの世界においては、かつて取りこぼした有能キャラも復刻されることがあると知った。
キャラが強くなりすぎた
実際のところ、復刻ガチャのSS白薔薇姫以外は獲得不要だったと思う。
アザミやキャットの下位互換・限定Sスタイルを手に入れるのは、一軍キャラに技を継承させたいという理由だけ。もうキャラが育ちすぎて他にすることがないため、余興として技継承をもてあそぶ感じになる。
連日のプレイによって一軍パーティーのHPや能力値、各スキルのレベルは上限に達している。
新たに獲得した強キャラを順次追加して育成する日々。それほど楽しくもないが、とりあえずやることだけは毎日用意されている。
低能力キャラまで集めたい心理
半年観察していると、どうでもよさげなS/AキャラのSSスタイルも後から投入される傾向がある。
すると将来のSS追加を期待して、利用価値の薄い限定S/Aキャラまでガチャで押さえたくなってくる。
ほんのわずかな戦力向上を目的に、技の継承目当てで下位スタイルを狙うのはどう見てもジュエルの無駄づかい。シナリオ攻略というよりアイテムのコンプリート欲求に近い。
あまりにバリエーションが多すぎる復刻ガチャのラインアップを目の当たりにして、重箱の隅をつつくような空しさを覚えた。
ゲームとの共依存関係
そしてSS復刻と同時に出てきた白薔薇姫のSスタイル。目立ったスキルも回復技もないので、ゲームの攻略上はまったく必要ない。
しかしSS白薔薇は一軍入り確定だから、技のバリエーションを増やすという意味で手に入れておく価値はある。
いずれまたパーティーが強くなりすぎて暇になることにそなえ、前もってやることを準備しておくような感じ。
ソシャゲをやり込みすぎると、自分で自分を飽きさせないよう工夫するのに頭を使う。ここまで来るとゲームとの共依存状態になっているといっても過言でない。
優先度は低いがジュエルは大量にあったので、アニバーサリー第2弾のアセルスガチャに挑戦してみた。当たりと思われるSSアセルスはすぐ手に入ったのだが、なぜか白薔薇Sはなかなか出てこない。
ガチャのキャラ排出率に疑問
途中で悩んだが結局天井の10連×9回まで回して、皮肉にもラストで獲得できた。
このあたりの排出率コントロールには、作為的なものを感じないでもない。
一度ガチャを天井=無条件でキャラが手に入る救済措置まで回すと、何とも言えない徒労感を味わえる。
ビギナーズラックは存在した
念願のSSキャラならまだしも、それが余興のためSスタイルだったりするといたたまれない。Sキャラのイラストは総じて顔も暗いし、手に入れてもあまりうれしくない。
実際のところ、半年集めた無償のジュエル貯金はそこまで毀損していない。
しかしガチャの景品と排出率のバランスは際どく設定されているという現実を思い知った。
ゲームを始めた頃は、最初の2~3回で当たりが出たガチャ。ビギナーズラックもそう長くは続かなかったようだ。
ガチャを回せば回すほど当たりが出なくなるという傾向は、単なる偶然だろうか。
単にやり込み過ぎたという理由
イベントガチャや毎月の螺旋ガチャを回していると、それなりの頻度で予期せぬSSキャラが副産物として手に入る。
ゲーム序盤は平凡なシャールやトーマスでも、SSというだけでありがたかった。
SSの基本的な能力値は他のS~Aより優位に設定されている。たとえスキルやアビリティーが使えなくても、序盤~中盤では立派な戦力になる。
しかし終盤の高難易度クエストが始まると、SSキャラの間でも使える・使えないという格差が出てくる。
手持ちの駒の中でゲーム開始時点から現役なのはカタリナSSくらい。後から加わったキャットやアザミのSSも比較的戦力になる。
メインシナリオVery Hardの終盤では、敵属性に合わせてアタッカーを選ぶ必要がある。打・突・斬とバランスよく2~3体、攻撃役を育てておくのが定石だ。
増えすぎたSSキャラ
しかしSSキャラが10体以上になると「中途半端なSSはもういらない」という満足感が出てくる。
下手な新キャラが出るよりは、既存キャラがかぶって成長の元になるピースに変換できた方がうれしい。
復刻ガチャのついでに、ブルーやアルベルトというマシなSSも手に入った。
新キャラを引き当ててもゲーム初期のような感動はない。ひょっこりSSバーバラが出て大喜びしていた数か月前がなつかしい。
新キャラの育成にまた時間がかかる
新たに入手したSSキャラをいちから育成するのは骨が折れる。
たとえ下位スタイルを遠征や武闘会で限界まで鍛えていたとしても、日ごろこなしている高難易度クエストには力不足。さらに何百回も周回バトルをこなして、能力値を底上げする必要が出てくる。
「かつてあれほど待ち望んだSSキャラを手に入れてもうれしくない」という事実が、ロマサガRSに対する熱意を冷ましてくれた。開発者が想定したゲームバランスに対して、自分のプレイ時間が長すぎたともいえる。
要するにゲームをやり込み過ぎて、やることがなくなっただけ。
無課金の方針で一切お金を払わないかわりに、半年もゲームに没頭することができた。しかしそれにも限界はある。
永遠に飽きないゲームなど存在しないのだ。
逃避からの逃避は現実回帰
自動回復したスタミナは無駄なく活用し、どんな過酷なミッションでも全クリアを目指すという勤勉さはプロテスタントの労働倫理と似ている。
思考を停止して「労働こそが自由への道」という信念にしたがった挙句、その対象がまっとうな仕事でなくソシャゲだったというのが空しい。
ログインボーナスを逃す効果
たとえ1日でもゲームを立ち上げないと、ログインボーナスがもらえずデイリーミッションも取りこぼすことになる。
この半年間は毎日、旅先でも入院中でも欠かさずログインしていたが、一度サボってしまうともうやる気がなくなる。完璧主義の裏返しとして、ケチのついたアカウントにはもう触れたくないという気持ちが出てくる。
模範的ユーザーとしては、一度ログインを逃してしまうと起動時に出てくるモニカ嬢に合わせる顔がない。
このプレッシャーから逃れるには、ゲーム自体がなかったことにする(二度とログインしない)という安易な解決策がある。
そして意外なことに、この逃避的行為がゲーム中毒から脱出するためのモチベーションになり得る。現実逃避のためにプレイしているゲームから逃避することは、二重否定の現実回帰なのだ。
完璧主義な性格でソシャゲをやめられない場合、一度でもログインボーナスを取りこぼすと皮肉にもゲームをやめる理由が手に入ってしまう。
スマホに脳内リソースを奪われる
机の脇にスマホを置いて、画面上に変化がなくなったら下の方にある再戦ボタンを押す。
技のエフェクトがまぶしいので画面上部はハンカチで覆って、再戦ボタンが出現したら押せるように工夫する。そんな感じで半年間、視界の端には常にゲームを起動したスマホが置いてあった。
ながら作業の効率は下がる
ロマサガRSは「ながらプレイ」が可能なので、ゲームしながら別の作業をすることもできる。
数分おきに再戦ボタンが出たら繰り返し押せばよいだけだ。慣れればほとんど無意識に手を伸ばせる。
しかし脳内のワーキングメモリや情報処理リソースの一部は、常にゲームに占有された状態になる。視界の一部にスマホがあるだけで、確実に作業の効率は下がる。
ゲームさえやめればもっと能率が増すうえ、外に出たり仕事をしたり自由で健康になれるような気がしていた。
ゲーム内容自体への不満
ほかにもロマサガRSに関しては、原作とキャラのイメージが違いすぎる、季節イベントのシナリオがふざけすぎなど、不満な点はいくつかあった。
ロマサガシリーズはキャラのグラフィックがぐろいのが特徴だが、七英雄のワグナスはその筆頭。
たまたま病院に入院して手術を受けた日が、七英雄の襲来イベントと重なった。
夜中に麻酔が切れて吐きそうになりながらアプリを立ち上げ、血みどろのワグナスと闘い続けるのはつらい体験だった。
旧作シリーズのファンとしてリユニバースはそこそこ楽しめたが、振り返ってみると100%満足できる内容ではなかった。それもゲームに飽きてやめる理由になったといえる。
ソーシャル要素がない
自分が過去にはまったオンラインゲームはBattle FieldのマルチプレイヤーやポケモンGOなど。
BFは仮想空間内で繰り広げる集団ゲームで、ポケGOも初期からジムバトルという対戦システムが用意されていた。実力の近いユーザー同士の接戦は、手に汗握る興奮を味わえる。
ロマサガRSは一般的にソーシャルゲームに分類されつつも、まだSNS的なコミュニケーション要素はない。今のところ完全にスタンドアローンで楽しむゲームだ。
現状でプレイヤー同士の連携要素がないロマサガRSは、ファミコン時代と実質的に変わらない。
ギルド実装までもたなかった
その代わりウェブ上の攻略サイトや掲示板が、ユーザー同士の交流を支えるプラットフォームになっている。
スクエニの公式アカウントでは新要素のアナウンス程度だが、これらの非公式サイトでチャット的な会話を楽しむことができる。
コメントしている人たちは相当レベルが高いので、外から眺めているだけでも勉強になる。
新しいガチャやキャラを分析して、ジュエルを投資すべきか議論するのはそれなりに楽しい。しかしユーザー同士で直接戦ったり共闘したりする楽しみにはおよばない。
メニュー画面ではそれらしき「ギルド」という機能が用意されているが、中身はずっと準備中。
スーパーファミコン時代の原作から20年。せっかく高性能なスマホを使っているのだから、通信機能が運営元からのデータアップデートにしか使われないのはもったいない。
もっと早くアプリ内でユーザーが連携できる機能が実現していたら、ロマサガRSを飽きずに続けられたかもしれない。
逆に考えればソーシャル的な中毒要素が薄いので、ロマサガRSは途中でやめやすかった。
まわりで誰もやってない
ゲーム自体が一人用のRPGであっても、友達と攻略情報を共有しながらプレイするおもしろさはある。
もしロマサガRSが90年代のドラクエのように社会現象化するほど流行っていれば、さらに長く楽しめた気がする。
ここ半年の間、同世代の知り合いにゲームの話題を振ってみたが、ロマサガRSで遊んでいる人はひとりもいなかった。ロマサガRSのテレビCMはたびたび見かけたが、そこまで大ヒットというわけでもなかったようだ。
いい歳してスマホでゲームなどやらない、まともな友人しかいないのは誇らしくも寂しいものだ。
今はゲームの寡占化が起こりにくい
若い人たちはFGOやグラブルといった他のメジャータイトルで間に合っている。
趣味が多様化して競合サービスも増えている。旧スクウェアの看板商品だった王道のサガシリーズですら、今ではニッチなブランドのひとつに過ぎない。
ロマサガRSが想定するユーザー層は、明らかに旧作をプレイしたことのある中年。キャラやストーリーのネタ元がマニアック過ぎて、かつてのライトユーザーはついていけないことすらある。
原作をまったく知らない人がこのゲームを楽しめるとは、到底思えない。
ソシャゲ卒業後に見た世界
過去にさんざんアクセスしたゲームの攻略サイトや掲示板は、今でもスマホのブラウザにレコメンドされてくる。
たまにページを開いてみると、水着ガチャや聖石集めといった魅惑的な新イベントも紹介されている。新キャラの性能を見て、思わず食指が動くこともある。
しかし冷静に分析すると、キャラの能力は既存勢力と似たり寄ったり。ゲームバランスについては慎重すぎるほど巧妙にコントロールされている。
たまに攻略サイトをのぞくことはあっても、再びアプリを立ち上げて再開するほどのモチベーションは湧かない。
ゲームをやめてから半年経った2020年1月現在、一度もアプリを起動していない。スマホからアプリは削除していないが、もし立ち上げれば恐ろしいデータ量のアップデートが溜まっていることだろう。
あまり変わらない日常
ソシャゲをやめたおかげで期待どおり、外出したり他にやりたいことに時間をさけるようになった。
今となっては正確にゲーム依存症だったのかどうかもはっきりしない。いつの間にか問題はあっけなく解消された。
生活上のストレスが減ったような気がするが、早寝早起き・規則正しく模範的な健康生活になれたかというと、そういうわけではない。
当然ながら「ゲームさえやめればすべてがうまくいく」ということにはならない。リハビリというか社会復帰には時間がかかりそうだ。
無課金時代より支出が増えた
ロマサガRSを卒業した後は、別の趣味であるガジェット研究に没頭するようになった。ブログでレビューすると称して必要のないブランド品を買い漁っている。
皮肉なことにソシャゲで遊ぶより、かえって支出が増えた。あのまま無課金のままロマサガRSを続けていた方が、経済的にはマシだったかもしれない。
そもそも性格的に、常に何かに依存していないと気がおさまらないらしい。依存対象がアニメやゲームでなく仕事やスポーツであればまだましという程度。趣味として他人に説明しやすいだけ。
すべての人間はホモ・ルーデンス(遊び人)。生まれながらのナチュラルボーンオタクとも呼べる。
むしろ何か他のもっと本質的な問題から逃げるために、みずから依存状態をつくり出しているのではないかと思う。極論すれば「人はいずれ死ぬ」とか。
ソシャゲの効用を見直す
一般的な結論をまとめれば、人は誰しも何かに依存しながら生きている。
その対象が仕事や子育てであれば、現代社会において相対的に正常とみなされるだけのこと。
他人に迷惑をかけずに暮らし、国民として納税の義務さえはたしていれば、何に熱中=依存してもたいして文句は言われない。
他の依存対象より健全?
むしろアルコールやギャンブルに溺れるよりも、ソシャゲの方が健全な趣味とも言えなくもない。
ガチャは中毒的だが課金しなくても遊べる余地がある。タバコやお酒は無料では楽しめない。そして依存による器質的変性は大脳にとどまらず肺や肝臓、全身におよぶ。
依存傾向のある大人のたしなみとして、ゲームのひとつでも習慣として続けることを推奨した方がよいかもしれない。
盆栽のようにキャラを愛でて育てていくことは、原木に「なめこ」を生やしたり縁側に猫を呼んだりするような他のスマホゲームと変わらない。
食えもしない画面の中の「なめこ」に投資するよりは人型キャラに貢ぐ方が、まだまともではないだろう。
ゲームから学べる側面
無課金というルールさえ守れば、オンラインゲームはパソコンでソリティアするのと変わらない。電気代と通信費が微妙にかかる以外は、環境にも健康にもお財布にもやさしい趣味なのだ。
ゲーム内の複雑なルールを理解して戦略を考えることは、脳トレにすらなる。
そして運営会社の手口を知ることで、ソーシャルゲームの事業モデルを推測することができる。みずからゲームにはまらずして、ゲーミフィケーションを理解することはできない。
ロマサガ世代がかつて体験したであろう、ビックリマンチョコやカードダスといった純粋課金マシーンに比べれば、ソシャゲの知的要求水準は高い。
子どものお小遣いに対するトレーディングカードの料金比を考えれば、大人が年に数回有償ガチャを回すことなど微々たる出費。お正月に100円のおみくじを買うようなものだ。
ソシャゲの経済効果
廃課金のソシャゲユーザーは、資本のない引きこもりや徘徊老人より内需拡大に貢献している。
銀行にお金を蓄えているシニアこそ、ガチャ消費してマネーを市場に還元すべきでないか。
今の日本でソーシャルゲームは国際競争力を持つ一大産業。一般ユーザーがゲームにつぎ込んだお金がクールジャパン機構の投資先にまわり、官民ファンドを応援することにつながるかもしれない。
いまのところガチャの利用料に公営ギャンブルとしての国庫納付金は課されていない。それでもゲームに課金することは、新車を買うのと同じくらい副次的な経済効果があるように思う。
依存の本質
結局のところ、どんな悪癖に手を染めても他の人に迷惑さえかけなければ、誰も何とも思わない。
ゲーム依存症に関しても「借金してまでガチャにのめり込む」というレベルまでいかないと、そこまで深刻に扱われない気がする。
いい大人がソシャゲに興じる姿自体が見苦しい、若者に悪影響という見方もできる。そうした規則功利主義も「どういう公益・正義を前提とするか」で話が変わってくる。
上に述べたように、
- ほかの有害な依存対象の代替・予防
- ゲームによる学習効果(マーケティングやゲーミフィケーションなど)
- 課金による経済効果
- 脳トレ効果、暇つぶし etc.
など、オンライゲームを正当化する屁理屈はいくつでも思いつく。
行為依存は対象を選ばない
みんな何かに酔っ払ってねぇと…やってらんなかったんだな…
人生は長い暇つぶし。何かに依存しなければやっていけないのが、人というものなのだろう。
なんら問題視されることのないHARM(Health, Ambition, Relation and Money)と呼ばれる基本的価値観の追求も、度が過ぎればプロセス依存と化すおそれがある。
まさにハーム=害。毒にも薬にもなる代物。
フェティッシュの対象は違っても依存状態に陥るメカニズムは同じ。筋トレも勉強も買物も株取引も、ハマりすぎると病気に近い。
そもそも心身の健康とはいったい何なのだろう。誰かにとって都合のよい状態が、ご都合主義的に「健康」と呼ばれているに過ぎないのではないだろうか。
ハマる要素は人それぞれ
資本主義というシステム自体が巨大なネズミ講なので、仕事中毒・買物中毒・やりがい搾取が悪いとも言い切れない。
結局ゲーム中毒もそういう曖昧な依存症のひとつではないだろうか。
ガチャの射幸性で病みつきになる人もいれば、ミッション達成をほめられることで脳内報酬系が活性化される人もいる。
どういう報酬を好むかという点で、プレイヤーとしての向き不向きはある。その点でロマサガRSはそこそこ遊べたが、一生付き合えるほどではなかった。
むしろ無料でここまで楽しませてもらえたのはありがたい。最近のゲームについて勉強にもなった。
依存の対象は選べる
エッセイストの酒井順子は『負け犬の遠吠え』で「依存に貴賎なし」と書いていた。
依存は避けられなくても対象は選べる。何に時間とお金を注ぎ込むかは自分で決められる。
ソシャゲでも結婚でも社会的成功でも、依存対象は好きに選べばいいのだと思う。