是枝裕和監督の2018年作品『万引き家族』をレビュー。
どちらかというと万引きよりDV・児童虐待が見ていてつらい映画だった。しかし逆境でもたくましく成長する少年少女を描いた、希望の持てるストーリーともいえる。
カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作
『万引き家族』は2018年の第71回カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した作品。
日本人監督の作品としては、1997年の『うなぎ』以来21年振りということになる。
興業的にそこまで大ヒットしたとも聞かないこの作品。カンヌでは暗い雰囲気の日本映画ばかりがウケるようだ。
映画の中ではタイトルどおり、万引きや車上荒らしなど数々の犯罪の手口が披露される。
万引きを実行するのは日雇い労働者と小学生のチームプレーだった。さすがに子どもたちが真似してはマズいという判断によるのか、PG12指定とされている。
万引きよりもつらい児童虐待
しかしこの映画でもっとも深刻に描かれるのは、万引きよりも家庭内暴力(児童虐待&DV)。
ネグレクトされた少女(ゆり=りん=じゅり)を、犯罪者一家が保護して育てるという筋書きになっている。
直接的な暴力シーンは少ないが、女の子の体中に残るアザや腕にあてられたアイロンの跡から事情を察することができる。
母親代わりを務める信代の腕にも似たようなヤケドの跡がみられるが、こちらは理由がはっきり説明されない。
最初はパート先のクリーニング店でこしらえた傷のようにも見えるが、実は前夫から配偶者暴力を受けていたことが明かされる。
病める3家族
この映画には家族らしきものが3つ出てくる。
- 万引きを生業とする偽・柴田家
- DVと児童虐待が渦巻く北条家(少女じゅりの実家)
- 亜紀の実家である真・柴田家
偽・柴田家は家族ぐるみで犯罪に手を染めるアウトロー集団だが、実は他の北条家や真・柴田家より健全に見えるのが逆説的といえる。
同じ屋根の下で暮らしつつも、偽・柴田家は誰ひとりとして血がつながっていない。それでも助け合って暮らす疑似家族の方が、虐待家族よりマシという話だ。
北条家はすでに崩壊状態にあるが、娘の「じゅり」が失跡することにより被害者としてテレビに取り上げられる。このあたりのシチュエーションは別の映画『さよなら渓谷』と似ている気がした。
真・柴田家と亜紀の関係が謎
一見なんの問題もなさそうで、実はもっとも闇が深いのが真・柴田家。
この一家は万引き家族の老婆・初枝の前夫と後妻の間に生まれた息子夫婦ということになっている。しかし前夫=父が亡くなった後も、なぜ初枝に慰謝料を渡し続けているのかわからない。
そして偽・柴田家の一員である亜紀が、実は真・柴田家の長女であることが明かされる。そして対外的には娘はオーストラリアに海外留学していることとされている。
本人の希望で家出しているのか、口減らしのために預けられているのかなど、その理由は不明。
亜紀が留学したと見せかけて、実は万引き家族の一員になっていることを知らない可能性もある。
あるいは不良娘で手に負えなかった亜紀を、父の前妻老婆に預けて厄介払いしたようにも見える。それにしても養育費が3万円とは少ない。
初枝が残したへそくりの目的
初枝の死後に見つかったへそくりは3万ずつの札束だったから、年金とは別枠の慰謝料分だろう。
万引き一家のなかで、老婆と女子高生の信頼関係はことさら強調されている。すると新・柴田家から渡されたお金は、亜紀の将来のためにキープしてあったとも推測できる。
疑似・姉という設定の信代が逮捕されて一家が離散した後も、亜紀だけは行き先が定かでない。実家に戻ったのかどうかも説明されない。
真・柴田家と亜紀の関係については謎のまま終わる。
家庭内暴力の連鎖
逮捕後の説明で、偽・柴田家の疑似夫婦、治と信代は過去に殺人を犯していたことが明らかになる。信代に暴力を振っていた前夫を共同で殺害したという設定だ。
信代が虐待を受ける少女にシンパシーを寄せるのは、自分も過去に夫からDVの被害を受けていたという理由。
しかし信代は服役して、少女は元の北条家に戻されてしまう。映画の冒頭と変わらず、また両親に放置されている様子が描かれるのは見ていてつらいラストシーンだ。
家族というブラックボックス
社会学者の上野千鶴子が『おひとりさまの老後』で指摘するように、顔見知りの中でも自分を殺す可能性がいちばん高いのは家族。
日本において家族とはブラックボックスであり、何かあっても他人は介入しにくい。その背景には「家庭内の問題は家庭内で解決する」という厳しい風潮がある。
血がつながっていてもいなくても、家族もしょせんは他人といえる。しかし自己責任・家庭内責任という意識のもと、不法行為がエスカレートしてしまう。
信代の犠牲により服役を逃れた父・治。その後成長した少年・翔太も、信代のかわりに少女を助けに行くという後日談は語られない。
明らかに希望を感じさせる手がかりがないまま、唐突に終わる最後が何ともいえずリアルだった。
少年・翔太の成長エピソード
虐待児童に対して母性本能を発揮する信代に比べて、治は最後まで救いようのないダメおやじという印象だった。
しかし子供たちにかける言葉の端々や行動からすると、いい父親役を務めていたと言えなくもない。
父・治から窃盗の手口を学んだ翔太は、彼の言動に一貫性がないことを見抜いて車上荒らしは手伝わない。
これを反面教師というのかもしれない。疑似父親の素行は悪くても愛情らしきものがあれば、子どもは素直に育つのだ。
犯罪を通して社会性を学ぶ
また駄菓子屋で万引きがばれて、少年が窮地におちいる場面がある。
しかし店の主人に「妹にはさせるな」とたしなめられるだけで済む。何万円もしそうな釣り竿の盗難に比べれば、駄菓子をくすねることなどたいした罪ではなかったともいえる。
その後、妹のゆりが自発的に万引きを始めようとするのを見て、翔太はみずからおとりになり負傷する。そして家族解体の1年後は、学校に通って着実に成長する姿が描かれる。
万引きというきわどい犯罪行為を通じて、翔太は治や駄菓子屋のオヤジから道徳観念を学ぶ。
少女の虐待エピソードと平行して少年の成長が描かれるおかげで、この映画の暗さはだいぶ和らいでいる。
貧乏だけど幸せな万引き家族
偽・柴田家で繰り広げられる生活は貧困そのものだが、ほかの問題を抱えた一家よりは幸せそうに見える。
核家族や単身世帯が普通になった現代日本において、5人が川の字で寝そべる光景はノスタルジーというより異世界のようだ。
それに比べると離散後に治がひとり暮らしする安アパートや、祥太が入れられる保護施設は寒々しく見えてしまう。
遠くの親戚より近くの他人
『万引き家族』でもっとも明るい場面といえるのが、一家で海水浴に出かけるシーン。
余命わずかの老婆の口から、「血がつながっていない方が、余計な期待をしないだけまし」というセリフが出てくる。
しがらみがなく利害関係でつながったドライな人間関係の方が、かえって健全な家庭を築けるのかもしれない。
血縁関係のない疑似家族。経済的事情や暴力・ネグレクトから助けるという理由で寄せ集まった人々。
偶然的な人間関係であっても、家族のような愛情は育つというのがこの映画のテーマだ。作中に出てくる『スイミー』の絵本がそれを象徴している。
社会関係資本と金融資本の逆相関
本当の貧困生活とは、こんな穏やかな暮らしでないかもしれない。しかしそれを上回る悲惨さが、家庭内暴力には潜んでいるということ。
たとえお金や行き場を失ったとしても、『スイミー』のように力を合わせればサバイバルできる。
助け合わなければ生きていけない万引き家族の方が、必要に迫られてソーシャルキャピタル(協調的な人間関係)は充実するともいえる。
人間的なつながりは、お金の量とは反比例するのかもしれない。
たとえ貧しく汚らしい万引き家族でも、なぜかうらやましく見える一面があった。
手堅い演技の俳優陣
リリー・フランキー(治役)の演技は、いかにもしがない日雇い肉体労働者という感じが堂に入っている。
テーマ的に陰惨になりがちな万引きファミリーの中において美人女優、松岡茉優(亜紀役)の存在に救われる。
そして終盤に出てくるベテラン女優、安藤サクラ(信代役)の取り調べシーンは名演技といわれる。長回しのカットで独白が続き、思わず涙が出てきてぎこちなく拭う仕草は確かにすごい。
安藤サクラの名演を見るためだけでも『万引き家族』はチェックする価値がある。
ストーリーや人間関係の説明が省略が多く腑に落ちない部分もあるが、カンヌの受賞にふさわしい名作であることは間違いない。