実話ベースの異色時代劇、映画『武士の家計簿』を観て節約修行

なんとなく山田洋次監督の時代劇三部作『たそがれ清兵衛』『隠し剣鬼の爪』『武士の一分』続編のように見える『武士の家計簿』。その後に控える続編『武士の献立』と同じで、なにかタイトルからして、そそられないものがある。

節約生活の参考になるかと思って観てみたが、案の定つまらなかった。藤沢周平の原作作品のように、復讐劇とか果し合いの要素は一切ない。チャンバラがあるのは唯一道場で練習する場面だけだ。

武士が苦労して倹約する話など、想像するだけでおもしろくなさそうなものだ。しかし、ふたを開けてみると『たそがれ清兵衛』と同じくらいの興行収入を達成したらしい。異色の時代劇といえる『武士の家計簿』が、なぜそこまで人気を博したのか考えてみたい。

(以下ネタバレ)

歴史学者のノンフィクションが原作

本作の原作は、時代劇小説ではなく、歴史学者の磯田道史が著したノンフィクション。加賀藩下級武士の猪山家に残された入払帳などから、当時の武士の風習を分析した学術書がベース。どうりで映画の方もドラマチックな要素がほとんどないわけだ。

猪山家3代の日常が淡々と描かれ、城内の御算用場の様子などはやたら詳しく説明される。侍が何十人も並んでそろばんを叩いている部屋など、今までの時代劇で見たことがない。何度も繰り返される城への出勤とそろばん作業の場面は、実話としてのリアリティーを感じる。

率直に言っておもしろくないと感じたのは、逆にドキュメンタリーとしては成功しているということなのかもしれない。

全体的に暗いが、妙にリアリティーを感じる

ストーリー性の希薄な『武士の家計簿』で、唯一の泣かせどころは、母親の死ぬ間際に、借金完済して昔売りに出したお気に入りの着物を買い戻して見せた場面だろうか。

浪費家の父母が節約を命じられ、見た目もみすぼらしくなり衰えていく様子は、観ていてなかなかつらかった。鯛を昆布締めにして長持ちさせるとか、節約の工夫を楽しむ場面もなくはないが、やはり全体を通して陰鬱な雰囲気の映画である。

客観的には親子の出世話が土台で、息子の猪山成之は幕末の動乱で加賀藩を出て、新政府の要職にまで上り詰めている。主人公、猪山直之は息子と違って佐幕派の藩主に仕えたため、時代に取り残された風に迎える末期のシーンは、なんともあわれな感じだった。

明治になって、成之が金沢に帰省するラストシーンでも、感動的な要素はあまりない。借金返済を終え、息子も立派に育てたはずだが、病気がちの父、直之にあまりうれしそうな様子はない。徹底的に、感情を顔に出さないキャラクターとして描かれている。

御算用方としての天命をまっとうした主人公の生き方や、子供の教育方針は、あれでよかったのかと思わせる節もある。そろばんや計算が好きという気持ちもわかるが、薄給に甘んじつつも、それしか生きるすべがないという呪縛のように感じる。

特に子供が幼少のころからそろばんを習わされるシーン。しつけが厳しすぎて妻と対立するあたりも、なにか主人公がフィクションでない実在の人物で、完璧な人格者でないというリアリティーを醸し出している。

節約術として具体的に参考になったのは、しじみの貝殻を囲碁の碁石の代用にする工夫くらいか。ほかに屋敷を売り払うとか、奉公人を解雇するとか、抜本的な改善ができそうに思うが、そういう小道具で貧困ぶりをアピールする演出が、随所に散りばめられている。

金沢城の復元された橋爪門

映画の舞台である金沢城は、天守が存在したかどうかは定かでない。最近復元された橋爪門と五十間長屋の連なる映像が何回か出てくる。整備直後なので壁の白さも真新しい感じで、映画のセットにはうってつけだったことだろう。

ちなみに金沢城の瓦は鉛でてきているという豆知識は、日本城郭検定の頻出問題だ。屋根が積雪の重みに耐えられるよう瓦を軽くして(鉛はかえって重そうだが…)、さらに有事の際は鉄砲玉に加工できるという利点があるらしい。鉛瓦だと、屋根の見た目が白っぽく上品に見えるのも特徴。