遺品整理の話で小耳にはさんだのが「古い腕時計は意外と高く売れる」という噂。
貴金属や宝石類ならわかりやすいが、値段の知れない骨董や趣味のコレクションよりは、まず確実に値がつくらしい。ケースがプラチナや18金ならわかるが、ちょっとしたブランド物の時計でもありなのだろうか。
仕事で一線を退いて、長らく苦楽を共にしてきた身の回りの品々。その中に、中古で買ってちょうど10年使い倒したIWCの腕時計がある。引退して日ごろ着ける機会も減り、健康管理のためFitbitの心拍計ウォッチを24時間装着するようになった。
思い入れのある時計だが、役目を全うしたと考えて中古市場に送り返してあげることにした。今年、断捨離したモノたちを供養するつもりで、レビュー記事を書いてみようと思う。
90年代、田舎のファッション事情
駅前の繁華街にBEAMSもSHIPSもないような地方都市で、洋服を買うといえばマックハウスみたいなジーンズショップしかなかった。せいぜいディッキーズでも着ていれば、ダイエーとかスーパーの服売り場にある謎の品物よりましに見られる時代だ。アメカジ以外の選択肢はなかったが、それでも「雑誌に出ているのと似たような服」を熱心に探し回っていた。
ユニクロのように、適当に安いのを選んでもそこそこ今っぽく見せられるファストファッションの功績は偉大だ。他人とかぶるのは嫌かもしれないが、今どきの中高生はそれほどお金をかけなくても、GUやWEGOでおしゃれを楽しめるだろう。
高校生になってからお金を貯めて、特急に乗って大阪の心斎橋に行ってみたが、ブランド物は高すぎて買えなかった。かろうじてBEAMSのハンカチだけお土産に購入したが、アメ村の戦利品として20年経ってもまだタンスに入っている。
アナログG-SHOCKが高値で売れた
高校受験に合格したとき、めずらしく親父から「必要だろうから好きな腕時計を買ってやろう」という話が出た。当時はなぜかメンズノンノとFINEBOYSを毎月両方買うくらい、無意味にファッション通だったので、候補を絞るのに1ヶ月くらい悩んだ。
ちなみに中学校の修学旅行で自慢するため、お年玉をはたいて買ったG-SHOCKを1本持っていた。なぜかマニアックなアナログモデルを選んでしまい後悔したのだが、10年経つと初代アナログAW-500の中古品が2倍以上の価格で売れたのは驚きである。
当時のモデルがミニサイズで復刻されているのは、ちょっと気になる。チープカシオより人とかぶらず、薀蓄を語れてよさそうだ。まさにおっさん向けのSWIFT SPORT、コンパクトスポーツカーのようなミニ時計に見える。
エア・ジョーダンのブームには乗り遅れたが、まさかG-SHOCKもここまで流行るとは思っていなかった。今どきの賢い中学生なら、靴や時計にうつつを抜かさず、ビットコインでもせっせと買い集めているだろう。
中学生はagnes bで妥協
そんな中学生の目に留まったのが、メンズノンノに掲載されていたIWCのシンプルな腕時計だった。春先によくある新社会人向けの小物特集だったと思うが、当時流行のポールスミスやタイメックスなどより、なぜかシンプルでかっこよく見えた。当時は特にこれといったスタイルにこだわっていなかったが、いずれミニマリストに育つ萌芽があったのかもしれない。
定価は当時でも10万以上したと思う。とても中学生が親父にねだれる金額ではない。ときどきページをめくっては眺めてニタニタし、現実的にはなるべくIWCと似た感じで、2万円くらいのアニエスベーを選んだ。
短針にagnes、長針の先にbの筆記体ロゴがつく以外は、縦長アラビア文字インデックスだけのシンプルな外見だった。結構気に入って、大学に入ってからもカシオ・データバンクの旧モデルをヤフオクで買うまで、しばらく着けていた。
中古のポルシェデザイン
中高生の身分で手に入れることはできなかったが、時計のモデル名は「ポートフィノ」と覚えていた。たまたま図書館で借りた中央公論社『ニーチェ』の挿絵に「ポルトフィーノ」の写真があったのだが、当時は同じ地名であることに気づかなかった。
1882~83年の冬に、この海辺の街に滞在してツァラトゥストラの構想を練ったといわれている。モノクロでスキャンして処分してしまったが、ターコイズより濃いセルリアン色の海だったと記憶している。Portofinoはいつか訪れてみたいイタリアのリゾートだ。
その後20代も半ばを過ぎて、そろそろ大人っぽいアナログ時計を買おうかなと思って手に入れたのが、中古のポルシェデザイン。個人的には今でもこれを超えるクォーツ時計は思いつかないくらい、ミニマルデザインの傑作に見える。残念なことに、道端で落として失くしてしまった。
中身は実はIWC製。ダブルネームでロゴが印字されているモデルもある。この時代のポルシェデザインは、コンパスウォッチや強力防水のオーシャン、ケースは軒並みチタン製と意欲作が多かった。車の方に興味はないが、ときどき会心作を放ってくれる興味深いブランドである。
失くした黒いポルシェの代わりに、しばらくはマラソンウォッチのステライルモデルを使って済ませていた。しかし、ナイロン製のNATOストラップはビジネス用途には若干カジュアルすぎる。そこで思い出したのが、昔憧れたIWCのポートフィノだった。ハイブランドの機械式時計を買うのは初めてだったが、貯めたバイト代をはたいてヤフオクで中古品を購入した。
旧型ポートフィノの魅力
10年越しで手に入れたアイテム。最初は高価な時計が腕についていると思うと、おそるおそる扱う感じだったが、そのうち慣れた。自動巻きだが、毎朝ネジを巻かないと夜には止まっていることがある。3針で日付表示もないシンプルなモデルだが、かえってその方がメンテも楽で助かった。
耳元に近づけると、かすかに秒間4回「チッチッチッチ」と内部機構が動く音がする。シースルーバックでないので中身は見えないが、バッテリーも使わず高精度に動き続けるのは驚異に感じた。まるで、台湾の故宮博物院にある翠玉白菜の上に彫刻されたキリギリスのように、人間業の極みを感じる。
文字盤は白地にシルバーの3針とバーインデックスで、あとはロゴや製造国が控えめな文字で書かれている程度。SCHAFFHAUSENの文字が筆記体のオールドインターに分類されるIW3513の型式で、直径34mmのケースが自分にはジャストサイズだ。
デカ厚時計は似合わない
時計のフェイスが大型化して久しいが、2000年代に入ってポートフィノも4~5mm巨大化してしまった。IWCはパイロットウォッチのボーイズサイズなら、まだかろうじてフィットするかもしれない。平均的な日本人男性の手首に、直径40mmを超えるケースが似合うとは思えない。
細かい点だが、IWCのリューズには防水性能を示す、繊細な魚のロゴが彫られている。もっとも年数が立ちすぎて、オーバーホール時に「もう防水性は期待できない」といわれてしまった。今では標準の日常生活防水も、昔は高度なスペックだったと歴史を感じさせるディティールだ。購入時と10年後の写真を見比べると、ケース側面に小傷が増えている。
ポートフィノはケースの側面やラグが丸く、肌触りがやさしいのも魅力である。自動巻きの機械式なので厚みはそこそこあるが、滑らかなケースのおかげでシャツの袖口も引っかかりにくく、ストレスが少ないのはありがたい。
ベルト交換とオーバーホール
ベルトの革は劣化していたので、モレラートの社外品に交換した。ついでに尾錠も観音開きのDバックルに交換したら、革ベルトでも3タッチで装着できるので、格段に便利になった。腕時計は着け外す際に落としやすいので、安全のためにもバックルは工夫した方がよい。
純正尾錠や説明書は保管しておいたので、中古で売る際に多少は貢献したと思う。さすがに夏を越すと革ベルトも汗を吸って傷むので、サドルレザーやリサイクルレザーなど、モレラートの製品を何度か交換して使いまわした。
一度だけオーバーホールに出したが、さすがに3万円以上かかった。中身はブラックボックスで見当つかないのだが、パッキンや歯車がいくつか交換されたようだ。高価なサービスなので、せめて分解した中身の写真くらいはつけてもらえるとうれしい。
外車のように維持コストが高いのも中古で手放した理由だ。IWCだとクォーツのOHですら2万はかかるので、恐ろしい世界である。
ネットの一括査定を利用して売却
ポートフィノの売り先としてまずヤフオクを検討したが、同じ型式の中古品でも相場10万はする。さすがに売り手としても高額な取引は不安なので、プロの買取業者を探すことにした。
質屋や時計店に持ち込んでもよいが、できればネットで相見積もりを取ってみたい。最近の高級時計は、中古車のように見積もりを出してくれるサイトが多く存在する。最初にフォームからブランド・型番情報を入れるだけで、ざっくり査定してくれる「時計査定の窓口」を利用してみた。
結局電話番号も入れる必要があり、複数社からそれぞれ電話がかかってくるのが面倒だった。3日以内に3社から連絡があり、「型番を調べたいから実物を送ってくれ」というお店や、ヤフオク相場より半額も安い価格をふっかけてくるところもあった。フォームから送った写真だけでは何ともいえず、結局備品も一式そろってヤフオク相場が上限という感じだ。
次に「カイトリマン」というサービスに時計を送ってじっくり査定してもらった。どういう仕組みかわからないが、メールで7社分の見積もりリストが届き、最高額でヤフオク相場の80%くらいだった。
元が中古品で保証書やケースもない状態なので、まあこれで決めてよいかと思った。一応キャンセルして宅急便で送り返してもらうこともできるが、他社に送っても似たような金額だろう。メールで売却依頼を伝えたら、フォームで届けた振込先にきちんと入金された。
意外と高く売れたという感想
発売から20年以上、もともと中古でさらに10年使いつづけた腕時計。ロレックスやオメガほど有名でないIWCの中でも、さらに地味でシンプルなモデルだが、意外と高値で買い取ってもらえた印象だ。自分でヤフオクに出品すればもう数万稼げたかもしれないが、取引の手間やリスクを考えると、業者に依頼してよかったと思う。
型式の古い高級時計は資産価値があるのか疑問だったが、90年代の製品なら全然いけるという印象だ。将来価値の出そうなブランドやモデルを選べば、会社の節税や資産運用に使えるのではと思ったが、よほどの目利きでなければ難しいだろう。中学生の時に買ったG-SHOCKにプレミアムがついたのは、まぐれ当たりもいいところだ。
「社長が乗るのは中古の4ドアベンツ」という都市伝説も、実際に使用する価値を上乗せしなければ維持費がかさむだけ。転売して元より値段が上がることはまれだろう。腕時計を経費化できる可能性は、2ドアクーペのスポーツ車より低いと思う。よこしまな考えをめぐらすよりは、Apple Watch向けのアプリでも開発した方が有意義だ。
ポートフィノ似のシンプル時計
現行のポートフィノは中途半端にローマ数字が使われたり、クラシカルな装飾が増えて好みでなくなってしまった。もしIWCの時計を買い直すとしたら、ポートフィノの旧型で今度は手間のかからないクォーツモデルを選びたい。
他のブランドも検討するとしたら、最近よく見かけるダニエル・ウェリントン。
ノモスのオリオンや、ユンハンスのマックスビルなど、分刻みのバーインデックスがついた似たような時計はいくつかある。5分刻みでよしとすれば、ヤコブ・イェンセンやオーレ・マティーセンなど北欧ブランドの時計はさらにミニマムで美しい。
老舗ブランドならロンジンのグランドクラシックに、ポートフィノ似のバーインデックスモデルがある。国産だがセイコー・クレドールのシグノにも、35mmケースの比較的コンパクトなモデルが揃っている。
どちらも機械式とクォーツ、貴金属ケースのラインアップもあるので選ぶ楽しみがある。ただしクレドールは高級なのにいまいち知名度が低く、転売は厳しそうだ。
ピアジェのUltra-Thinなアルティプラノや、ジャガー・ルクルトのマスターウルトラスリムもわりとシンプルだ。機械式としては驚異的な薄さだが、価格も異次元。手巻きは面倒くさそうなので、なしとしよう。
神は細部に宿る
似たような製品をいろいろ見てまわったが、やはりポートフィノの方がデザイン的な主張がなく控えめに見える。インデックスの線が他より短いのと、ケースの丸みが柔らかい印象を醸し出しているからだろう。
長年使っていなければわからないような違いだが、優れた製品というのは画像から見えない部分にもこだわりがあると感じた。維持費はさかむが、パーツの交換修理にも長く対応してくれるだろう。
今どき時計といえば、千円以下のビックカメラの吊るしから安いものはいくらでもある。しかし、いまだに機械式時計がもてはやされるというよりは、ウェアラブルガジェットへの反動か、最近はむしろ復権してきていると思う。中身は見えないが人類の英知を秘めた繊細なメカニズムに、白菜の彫刻のような職人技へのリスペクトを感じるからかもしれない。