発売時から気になっていたデザイナーズ文具のHINGEをとうとう購入した。中目黒の蔦屋書店で実物を触ってみたりして、1年くらい買おうかどうか迷っていた。果たして普段使っているノートやファイルから乗り換えられるのだろうか。千円以上するので、文具としては安い買い物でもない。
クリップボードとファイルを兼ねたシンプル構造で、いかにもミニマリスト向けの道具とうたわれている。コンセプトやパッケージのデザインはすばらしいと思うが、実際の使い心地はどうだろう。
ミニマリストが飛びつくHINGEの魅力
今回選んだのはA4サイズのブラック。定価は税込み1,296円だった。
ポリプロピレンの樹脂製素材で、パッと見は普通の書類を挟み込むファイルに見える。使い方や設計のコンセプトは公式サイトで詳しく紹介されている。
(HINGEのポイント)
- 最低限、打ち合わせやブレストに必要な紙だけ持ち運ぶ
- 余計なものを加えない。ペンホルダーは単なる穴
- ファイルを開いてすばやく書き始められる
- 軽さを優先しつつ適度な硬さで下敷きにできる
クリップボードのように、紙を押さえる大きなクリップが付いていないので、薄くコンパクトに持ち運べる。また、クリアファイルのような透明ポケットがついておらず、見た目が単一素材でシンプル。ロゴも背表紙にさりげなくエンボス加工されているのみ。idontknowという謙虚なプロジェクト名がユーモラスだ。
製品名でもある開閉ヒンジ部分は、PP素材に3つ折り目をつけただけで、十分な耐久性と実用性を確保している。色は黒または白一色。余計なものが目に入らないので作業に集中できる。
リングノートにもクリアポケットやゴムバンドが付いたり、機能過剰になりがちな文具業界。最近のミニマム志向を反映した意欲的な新商品に思われる。
4種類も素材を使い分けた工夫
触ってみて、上記のコンセプトはすぐに理解できた。クリップ部分もファイル部分も、5枚くらいの紙を挟むとちょうどいい。ファイルにマチはついていないので、詰め込めば入るが型がくずれてしまうと思う。
見た目は一見革製のようだが、実は革っぽい加工を施したPP素材。軽さ・耐久性・防水性という観点からはこの素材で正解だと思うが、装飾的なシボやしわのプリントは不要だったのではないかと思う。
しかし普通のソリッドな樹脂板だと、何の変哲もない安物文具に見えてしまう。ファイルの内側は筆記時のさまたげにならないよう無加工なので、素材感で表裏を判別しやすくする意図があったのかもしれない。
開いて右手のファイル部分は、フラップが表紙と似たようなテクスチャー感のシート。そして裏は紙を押さえて滑り止めにするため、ざらざらした質感になっている。
左手のクリップ部分、薄い帯の表裏も同じ組み合わせの素材だ。
オールブラックのミニマムな単一素材に見えて、表面の加工は実に4種類も使い分けている。このあたりにデザイナーさんの細やかな配慮を感じた。これで千円超えるのはちょっと高いと思ったが、材料や製法にはそれなりの手間がかかっている。
表紙は軽いが柔らかすぎる
マニュアルどおり表紙を360度回転させて台紙にしてみたが、A4サイズだと面積が広すぎるのか、たわんでしまって書きにくい。一回り小さいA5サイズなら、まだしなりを抑えられると思う。この点は「重くなりすぎない厚さ」を優先したのか、持ち運ぶにはよいが、立ったまま紙に書くには少々不便である。
もし市販のクリップボードのように、硬質な板で仕立てたら、目的の薄さ・軽さが損なわれて凡庸な製品になってしまったことだろう。筆記時の安定性は、デザイン的に妥協せざるを得なかったポイントかと思う。
それなら机の上に乗せて書けばよいかと思ったが、今度は二重になった表紙部分が自然と盛り上がり、手で押さえておかないとフラットにならない。何となく、紙にものを書くときは紙面が平らでないと落ち着かない。
表紙を180度伸ばした状態に開けば、単なる下敷きとしてシンプルに使えるが、今度は上に伸ばしたファイル部分が場所をとって仕方ない。凹凸のないフラットな卓上なら、紙1枚そのままむき出して広げた方が便利だと思った。
ペンホルダーは使いにくかった
2つの穴で表現されたペンホルダーは、この作品の外観的なアクセントだ。穴があるとペンを引っ掛けたくなる、アフォーダンス理論にもとづく±0的なデザインに思われる。さらにクリップ付きのキャップを引っ掛けたままにすれば、外したキャップの置き場に困らないという工夫も主張されている。
ためしにいろんなタイプのシャーペン、ボールペンを差してみたが、実際の使い勝手はかなり微妙だった。まずキャップなしのノック式ペンだと、クリップ部分を穴に滑り込ませるのが相当難しい。クリップを斜めに差し込んで、穴に引っ掛けながらねじって固定しないといけない。特に胴軸が長くてクリップの小さい製図用シャーペンだと、HINGEに差すのはほぼ不可能と思わる。
次にコンセプトどおりキャップ付きのペンを差してみると、確かに筆記時のキャップ置き場としては便利だ。しかし、クリップを引っ掛けた状態でペンを着脱するのは、イメージ通り「片手でワンタッチ」とはいかない。
例えばパイロットのVコーンとかだと、キャップの開け閉めにそこそこ力がいるので、両手でつかまないとキャップが外れない。
キャップの固定力が弱く、見た目もブラックやシルバーでHINGEにマッチした筆記具があれば、推奨リストを教えてほしいと思う。あるいはむしろ、最適化したペンとセットで売ってもよかったように思う。
紙切れが常に不安
家の中ではいまいち使いどころがないので、出先や出張先にHINGEを持って行って試してみた。紙を数枚ストックしておけば、途中で切れるということはめったにない。しかし、「いつか紙が足りなくなるのでは?」とう不安が常につきまとう。A4コピー用紙くらいならどこでも調達できそうだが、余計な心配が増えるのは事実だ。
そして、移動中に何か思いついて「立ったままメモする」ときは、たいてい手帳のメモ欄を使う。A4サイズで考えをまとめるときは、先にカフェとか机のある場所を確保する。
立ったままこのサイズのノートを広げるのは、写生とか風景をスケッチするときくらいだ。最近は忙しくて、野外でのんびり絵を描いているひまもない。
(HINGEのデメリット)
- 屋外で使う機会がない
- 室内では持てあます
結論として、使える場面がどこにもない。
単なるファイルとしては利用するなら、普通の透明クリアホルダーが便利だ。黒いファイルは機密保持によいが、よほどの案件でなければ透明素材か、せめてスモークカラーくらいで中身が見える方が使いやすい。
そしてクリップボードとして考えれば、多少重くても硬い板でないと本来の用途に使えない。そして市販品についている大型クリップに比べると、HINGEのスリット部分に紙を挟むのはひと手間かかる。慎重にやらないと、紙がひっかかってよじれる。
突き詰めるとHINGEすら不要
HINGEを使っているうち、ミニマリストとしてはこういう便利商品ですら不要でないかと考えるようになってきた。たとえば100枚ストックがあるオキナの定番プロジェクトペーパー。これを丸ごと持ち運んで、お気に入りのペンで枚数を気にせずガシガシ書くと気持ちがいい。
ペンもレポートパッドもむき出しで持ち運べるなら、それが最軽量だ。使いにくいペンホルダーから抜き差しする手間もない。HINGEを使っていたときのストレスが一挙に解消されて、これこそが真のミニマリズムだと実感した。
何となく無意識に、一年間も購入をためらっていた理由がわかった。デザイン的にすぐれた製品でも、「なしで済ませられるなら、それが一番いい」。原理主義的ミニマリストは常にこの発想に立ち帰る。
「仕事しないで暮らせるなら…息しないで済むなら…」と考え始めれば、人として存在しないことが一番ミニマムだといえる。生活を便利にするはずのライフハック、それ自体が目的になると、生活自体が成り立たず危うい。HINGEを使いながら、そんなジレンマについて考えた。