年末に、ヤドカリの『未来住まい方会議』で紹介されていた「半農半X」の本とその続編を読んでみた。
2003年の出版なので10年以上前に話題になった書籍だが、続編も何冊か出ている。なんとなく牧歌的な田舎暮らし礼賛の語り口だが、無農薬で米作に取り組むエピソードからは「半農」とはいえ農家の苦労がうかがえる。
「半農半X」というキャッチコピーの勝利
本書のコンセプトは「半農半X」というわかりやすいキャッチコピーに凝縮されている。「田舎に移住して自分で食べる分だけ小さい田畑を耕しながら(半農)、残りの時間で副業(半X)して稼ごう」という趣旨だ。
食料を自給自足してその他の出費も少ないから、半Xの少ない収入でもやっていける、というのがポイントだと思うが、残念ながらそういう経済的な話はあまり出てこない。むしろ、里山暮らしや田舎の風景・生態系は素晴らしいというポエティックなエッセイや、Xに相当する使命やミッションを探そうという青臭い話が大半だ。
ほかにも「夢の自給率」「使命多様性」「福業」など著者の造語が多く出てくるが、「半農半X」というキャッチーなネーミングを生みだしたことが、著者の最大の功績だろう。「とりあえず兼業でいいなら、あまり気負わずにプチ移住してみてもいいかな」という気にさせてくれる。
気になる田舎暮らしの経済事情
素直な気持ちで本書を読めば、「田舎暮らしはやっぱりいいなあ、体にもいいし環境にもやさしいし」と感動して、綾部市の民泊にでも行ってみるかという気になるのだろう。その後、テレビや新聞でも取り上げられてブームになったようだ。
しかし、個人的には本の中で語られないところに興味がある。著者の半Xに相当する仕事は「ミッションサポート」であると書かれている。要するに田舎プロモーション、NPOの「里山ねっと・あやべ」を通して地域振興や移住者増加を図ること、講演やメディア露出で対価を得ることだろう。もう一つ、「ポストスクール」というDM配信サービスやメルマガも手掛けていて、それらが主な収入源になっていると思われるが、収支については説明がない。
結局、綾部の特産品を生かしたベンチャービジネスなどではなく、会員制のポストカードやML配信など、ある意味田舎でなくてもどこでもできる一般的なビジネスでしか稼げなかったとも言える。今ならブログのアフィリエイトやAdSenseというところだろうか。本に書かれているように、田畑で過ごす時間が思索に向いていて、農作業の実体験が話のネタになっていると考えれば説明はつくが、やはり「田舎ならではのお金儲けの手段」というのは難しいのだろうと思う。他に紹介されている綾部の住人も、画家や陶芸家など芸術家の類が多い。
土地の値段についてはわりと具体的な数字が書かれている。土地付き中古家屋で600万円、賃貸は田畑付きで月1~2万円というのが京都府綾部市の相場らしい。しかし田舎の賃貸物件は自治体の公営住宅や空き家バンクくらいしかネットに情報が出ていないから、地元住民や不動産屋とのコネクションが必要だろう。その点で本書は、故郷へのUターンという王道パターンである。京都で会社員を続けながら、実家に通いで自給農を開始した、慎重な移住であったともいえる。
子育てに関しては田舎が圧倒的に有利
田舎暮らしの最大のメリットと思われるのが子育ての利便性である。子供の成育環境として田舎が適しているのは実体験からも容易にイメージできる。子供の頃、九州の地方都市を転々としていた時期は、空き地でトノサマバッタを捕まえたし、家に巨大なゲジゲジが出て驚愕したのも覚えている。その後、首都圏湾岸の工業地帯に引っ越すと、汚染された川に浮かぶ死んだ魚を突っついて遊ぶくらいしかすることがなかった。図鑑で読む昆虫や動物は家の周りにはいない。
また、東京の集合住宅で子育てするのは不可能に近い。赤ん坊の夜泣きや騒音で近所から苦情を言われ、路上や公園で遊ばすのも危険をともなう。知り合いの夫婦は、ほぼ近所からのクレームが原因で田舎に引っ越した。地方に住めば保育園や幼稚園も十分に空きがあり、近所の子供たちも兄弟姉妹が多く面倒見がよいそうだ。自分の体験ではないが、何度か田舎の知人宅を訪ねて、育児環境として都心と地方には圧倒的な格差があると実感した。
自然農法は自分で取り組む意味がある
畑の野菜作りに比べて米作はレベルが高いプロ農家の仕事だという先入観があるが、著者は果敢に無農薬米栽培に挑戦している。年間を通じた畦塗りから田植え、草刈り、収穫、天日干し、脱穀の過程が詳しく書かれているので、本気で米作りをしたい人には参考になるだろう。収穫量は「現代農業(化学肥料、農薬使用)の6割程度」と言われている。
自分の親戚の農家でも、農薬や除草剤を使うのはまったく普通のことだと考えられている。しかし、他の動植物と稲を共棲させた方が害虫が付きにくいとか、水田に鴨を話して雑草や虫を食べさせる合鴨農法というのもあるらしい。もし健康上の懸念から減農薬を超えた無農薬、有機肥料、さらに完全な自然農法を求めるなら、特殊な農家から仕入れるのは高価だから自分で取り組んでみるのもありだろう。人の作った野菜や米はどこまで行っても不安を拭えないが、自分で育てた作物なら耕作の苦労やエピソードも含めて食卓が豊かに感じられるに違いない。
半農半X「実践編」
2006年出版の『半農半Xという生き方 実践編』もついでに読んでみた。こちらはさらに抽象的な内容で、田舎暮らしを礼賛するルソーやソローの引用が多い。また、綾瀬で活躍している老人や、半農半Xに取り組むほかの移住者の紹介など。オリジナルで著者の語り口に共感できる人は実践編もおもしろいと思うが、「生ぬるいポエムだ」と感じるひねくれ者は読むだけ無駄だろう。
田舎暮らしに何の関係があるかわからないが、兼好法師の言葉も引用されている。『徒然草』第188段より、
第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし
妻の呼称が「つれあい」って…
細かい点だが、2冊とも自分の奥さんを「つれあい」と読んでいるのに違和感があった(綾部の方言なのだろうか)。話し言葉では若い人だと「嫁」が大半で、年配では「女房、家内」と言う人が多いように思う。その中で「嫁」と「連れ合い」は謙譲というか相手を不当に貶めているように聞こえて、あまり気分がよくない気がする。
口頭でも文中でも呼び名は「妻」がベストだろう。社会人のビジネスマナーで自分を「私」と呼ぶのと同じで、完結かつ余計なイメージがつかず耳障りでない。