スマホゲームの依存症について興味を持ったので調べてみた。この分野で精力的に活動されている精神科医、樋口進さんの最新著作をレビュー。依存症の中でも狭義のスマホゲームに関しては、現時点でもっとも詳しい本だと思う。
「ゲームの依存症」を病気と呼ぶかどうか、世界的な見解もまだ統一されていない。そのため本としては、診断のガイドラインに関する考察や「依存度テスト」の紹介が多い。このあたりは医師としてあやふやなことは言えないので、定義にこだわる姿勢がうかがえる。
一方でゲームのやりすぎが脳に及ぼす影響や、著者が院長を務める久里浜医療センターでの治療法なども広く紹介されている。患者や家族向けのイラスト入り入門書というより、やや専門家な内容が多いが、ゲーム依存にまつわるトピックは一通り網羅している。
しかし著者自身が「民間療法での完治は不可能」と断言しているので、「本を読めば治る」という雰囲気ではない。重度の依存状態であれば、基本的に医療機関を受診するよう、すすめられている。
大人もかかる依存症
スマホゲーム依存症で外来を訪れる患者さんは10代が中心だが、近年は30~40代も増えているという。本書で挙げられている理由は以下の通り。
- 子どもの頃にファミコン・プレステを体験した世代で、ゲームに抵抗感がない
- 働き盛り、子育てでストレスが多い、希望がない
- 経済的に、手軽に課金できる状況にある
確かに近年出ているスマホのソーシャルゲームも、ドラクエやファイナルファンタジーといった90年代のタイトルをリメイクしたものが多い。自分が今プレイしているロマサガRSも、明らかに30~40歳くらいの年齢層がターゲットで、旧作の懐かしい要素を散りばめている。
クレジットカードを持たない若年層であれば、ゲームに課金するのは容易でない。エスカレートすれば、どこかでバレるし、まわりから止められる。
ゲーム依存は急速に進む
一方、いい大人が自分で稼いだお金でゲームに課金する分には、誰も文句を言えない。せいぜい競馬やパチンコ、宝くじと同程度。銀行に貯金するよりも、むしろ消費者として日本経済に貢献しているともいえる。
そのため、自分で課金できる大人の方がゲーム依存になるおそれがあり、水面下で急速に進行しやすいとも推測される。酒やタバコならまだしも、「ゲーム依存」とレッテルを張られるのはちょっと恥ずかしい。心当たりがあっても表向きには否定したいので、知らぬ間に依存度合いが深まっていく。
趣味なのか病気なのか、嗜癖(addiction)なのか依存(dependence)なのかという解釈の難しさもここにある。本人は認めたがらないし、何もかも依存症と認めていたら病院がパンクすする。これはすべての依存症や精神病についても言えることだ。
依存をもたらすゲームの特徴
本書で説明されているスマホゲームの特徴を端的に整理すると、
- 「クリア」という終わりがない
- 「ガチャ」はギャンブルと同じ
- いつでもどこでもプレイできる(すきま時間、ながらプレイ)
- プッシュ通知が依存のきっかけ(キュー)になる
- 依存にいたる期間が他より短い(ICDの基準期間12か月以下)
ファミコンやプレステのゲームには「クリア」という終わりがあったが、スマホゲームにはそれがない。頻繁なアップデートやシナリオ追加で、際限なくプレイできる。それも依存をもたらす要因と推測されている。
確かにゲームがオンラインになったことで、アップデートという自由度、マルチプレイの楽しさという可能性が広がった。一方で、ゲームがそもそもつまらなければ、自然と飽きてくる側面もある。
最近のスマホゲームには、「つまらないけど、ついつい続けてしまう」という面もある。いちいちテレビにゲーム機をつながなくても、手元の端末で手軽に遊べてしまうからだ。そして連続ログインや時間ごとのログインボーナスで、プレイを習慣化させる手口は洗練されている。
医学的な定義
精神障害の診断についてよく参照される、米国精神医学会の分類マニュアルDSM-5 。ここに「インターネットゲーム障害」は盛り込まれているが、「スマホ」という概念は含まれていない。一方、WHOの国際疾病分類ICDは、2018年の改訂11版で、著者の働きかけにより「ゲーム障害」が収載される予定という。
このあたりは一般読者として、あまり興味ない部分である。評価のあいまいな分野だけに、自説をオーソライズする必要があったのだろう。医学的に疾病として認知されれば、診療報酬も出るし、治療しやすくなるというメリットには同感できる。
タバコやアルコールが売られ続けているように、拡大解釈しすぎて「ソシャゲ禁止令」が出たり、ゲーム中毒の診療科がやたら増えることにはならないだろう。今の時点では、強めに危険性をアピールして認知の浸透を図りたい方針と思われる。
マンガの『大東京トイボックス』で、ゲーム内の表現規制が話題になっていたが、歯切れの悪い結末だった記憶がある。
健康に害のある嗜好品が普通に売られていたり、国家公認の賭博も許されているのが現実。ゲームにおいても同様に、「表現の自由と規制」は相反する難しいテーマといえる。
依存の原因は「現実逃避」
本書でさりげなく指摘されているが、これがゲームに限らず依存症全体に関係する真実ではないかと思う。人は自然と依存症になるのではなく、何か現実のトラブルやストレスがあって、そこから逃れようとして依存に駆り立てられるのだ。
根本的な原因を解決しなければ、スマホ断ちしてもまた別の依存症になりそうな気がする。たまたま課金しなければお金もかからず、目に見えて健康被害もなさそうな、スマホのゲームがお手軽だったという理由にすぎない。
我が身を振り返っても、何となく過去にゲームにハマった時期は、現実逃避したかったという心当たりがある。一方で、生活に苦労は絶えないと考えれば、何にでも当てはまる思い込みかもしれない。世の中にストレスがゼロの人はいないと思うし、脳の機能低下など複合的な原因も考えられる。
暇だと依存症になりやすい
生活に何も問題がなくても、退屈・虚無感も依存の原因になりえる。退職後にギャンブルやアルコールの依存症になる気持ちもわかる気がする。
仕事があったり家族がいれば、嗜癖が行き過ぎても、どこかでストップをかけられる。仕事をさぼってまでゲームをするようになったら重症だが、そこまできたら会社や家庭生活にさすがに支障をきたすだろう。他人と暮らしていれば、それだけで予防効果が期待できる。
一方、ある程度の退職金や蓄えがあってひとり暮らしの暇な状態だと、スマホゲームの誘惑にあらがうのは難しい。このままいくと、20~30年後くらいにファミコン~ソシャゲ世代が退職して一斉にゲームにのめり込む社会現象が起こるかもしれない。
逆にゲームの開発会社・運営元にとってはビジネスチャンスだ。退職金を目当てに金融商品を売り込むには、プロモーションにゲームをつかったらよいのではないだろうか。ソシャゲの中でコラボした自社キャラを登場させるとか、ゲーム内通貨を○○銀行で運用できるようにするとか。
脳への悪影響
ゲーム依存が脳に及ぼす影響は、ほかの依存症と共通する部分と思われる。
依存症になると、理性をつかさどる前頭前野の働きが鈍り、本能的な欲望をつかさどる辺縁系の活動が優勢になる。しかしゲーム画面やアプリのプッシュ通知など、依存対象のキュー・トリガーを受け取ると、前頭前野が過剰反応する。
つまり、ゲームの話についてはやたらと食いつくが、それ以外のことは全般的に興味がなくなるイメージだ。ゲームにハマりやすくなるように、脳が最適化される。
また、ゲームをすることで脳内に放出されるドーパミン(受容体の数)が、刺激に慣れると徐々に減っていく。そのため、通常のプレイでは満足が得られなくなり、遊ぶ時間が長くなったり課金の額が増えていったりする。
- 前頭前野の機能低下
- 報酬の欠乏(刺激に耐性がつく)
この2点が、依存症患者の脳内で起こる典型的な症状だ。
刺激に対する線条体の反応は、MRIの実験画像で証明されている。思い込みや気分的な問題ではない。脳に器質的な変化が見られるというのは、ゲームがアルコールやギャンブルと同じく依存対象になりえる根拠といえる。
ゲーム脳?
さらに進んで、灰白質や白質の破壊が進み、脳自体が委縮・損傷を受ける傾向も報告されている。「ゲーム脳」と似ている話で、論文から引用されている相関率も、どこまで有意とみなせるのか素人にはわからない。
老後や引きこもりでぼーっとしているより、適度にゲームでも楽しんだ方が、脳の老化・劣化は防げそうな気もする。ゲーミフィケーションと呼ばれる方法もあるくらいだから、一概に「ゲーム=危険」とみなすのは単純すぎる。
ただ本書はまだ認知度の低い「スマホゲーム依存」について啓蒙する目的があるから、「脳の破壊」と断言しているのだろう。表現方法はともかく、重度になると酒やギャンブルと同じ反応が脳内で起こるという説明には納得できる。
しかし肝心の「ガチャ」について、中毒性や射幸性の中身について掘り下げていないのは残念だった。ガチャはすでに「ギャンブル同等」とみなされ、解決済みということなのだろうか。できれば被験者にゲーム画像を見せるだけでなく、ガチャを回させる実験もしてほしかった。
ゲーム依存の治療法
ゲーム依存症は従来の物質依存より急速に進行しやすい。その分、対策も簡単に思われる。
ツベコベ言わずスマホを取り上げればよい。アプリのアンインストールとかまどろっこしいことはせず、今すぐ便所にスマホを沈めるか、へし折ればいい。
そういう過激なことは本書で紹介されていない。今やスマホはPCと同じく仕事道具のひとつなので、そう簡単に遠ざけることはできないだろう。子どもだけでなく、大人が依存症になってしまう理由のひとつでもある。
穏やかな治療法として、提案されているのは以下のような方法。
- モニタリング(プレイ時間の記録)
- プレイ時間の上限、やらない時間の設定
- スマホゲームを別の健康的な習慣に置き換える
- ゲームで失うもの、機会損失について考える
依存のトリガーとなるキューから遠ざけるのが何よりなので、数時間でも半日でも「スマホ断ち」するのが手っ取り早い。病院に行くと、ワークショップや社会技能訓練、さらには合宿形式でスマホを隔離してくれるサービスもある。
ストレス→ゲーム依存?
本書の冒頭で、「働き盛り・子育て世代=高ストレス・低希望社会→スマホゲームに依存」という構図が描かれている。なぜか先進国の一人当たり労働時間と長時間労働者の割合がグラフとして引用されているが、そこから因果関係を説明するのは無理があるだろう。
働き盛りの世代の方がストレスが多いかというと、それは別問題な気もする。適当に生きている中年より、受験のプレッシャーにさらされた高校生の方がストレスフルかもしれない。むしろ上記のように、「大人のゲーム依存症の方が表面化しにくい」というのが事実だと思う。
インターネット依存患者と脳画像の相関分析については、それなりに説得力がある。しかし専門外の社会学的なコメントに関しては、読者の不安をあおって病院の宣伝をしているふしも見受けられた。
スマホの利便性と弊害
この本も商品として書店に並ぶ以上、売れなければいけない。そのためには「スマホゲーム依存症」というキャッチーなタイトルをつけて、ゲーム依存という概念に消費者を依存させないといけない。
「離脱しよう。終わりなき、消耗の世界から」…帯に書いてあるコピーもなかなか秀逸だ。
一方、ゲーム依存が疾病なのかどうかあいまいな状況なので、「あなどってはいけない」と、リスクを強めにアピールしている意図もうかがえる。依存の初期にある患者は、自分の状態を過小評価する「否認」と呼ばれる特徴がある。そのため、少しでも身に覚えがあれば「依存症になりかけかも」と疑ってみた方がいい。
スマホゲーム依存とは、スマホの便利さと引き換えに私たちがつかまされた、ある種の「副作用」なのです。
『スマホゲーム依存症』 樋口 進
極論すれば、すべての商品・サービスはユーザーを依存させるのが目的といえる。広告・宣伝の効果も、中毒性・射幸性の強度で測られる。そういう事情もゲーム依存症の解釈・治療を難しくしている理由と考えられる。