谷尻誠さんの新著『CHANGE-未来を変える、これからの働き方』のレビュー。
二子玉川の蔦屋家電で開催された、発売記念のトークイベントにも参加することができた。トークと本の感想をまとめてみたい。
トークイベントの感想
蔦屋家電で本を買うともらえた参加整理券。
聴衆は全体で50人はいたように思う。満席の大人気だった。
2階の会場前方には大型モニターが置かれていた。最初はここに作品の写真など映しながらプレゼンするのかなと思った。
しかし本番では、著者と編集者2名のトークだけで盛り上げるというシンプルな方式。いかにも建築家「らしくない」プレゼンで、逆に新鮮だった。
著作には「空間をつくる時も僕はコトバありきです」と書かれていた。建築のイメージよりも、言葉でコンセプトを共有すること方が大切なのだ。
そう考えると「あえてわかりやすい絵を見せない」プレゼンのやり方も筋が通っている。
建築よりも仕事術の話
トークの内容は谷尻さんの近作を紹介しながら、「仕事に役立つ考え方」という話題が中心。
小難しい建築の専門用語は一切出てこない。代わりにiPadを使って、開発中のアプリを見せてもらえたりした。
蔦屋家電という場所柄、時間帯も夕方早い時間とあって、オーディエンスはビジネスマンや通りすがりの買物客が多い。
あえて建築系の人をターゲットにせず、聴衆が興味を持てそうな話を選んでくれるサービス精神を感じた。
プロダクト×マーケティング
編集者の方が話されていた、安藤忠雄を取材したときのエピソードが印象に残った。
ボクシングの話から始まって人生論のようなものになり、難しい建築論や自作の説明は一切なかったという。
谷尻さんのトークにも、それと似たような雰囲気を感じる。明らかに専門的な内輪ネタよりも、普通の人に建築の魅力や楽しさが伝わるよう配慮されている。
話しぶりは建築家というよりクリエイティブディレクター。プロダクトのことを考えるのと同じくらい、マーケティングにも気をつかっている。
いくら製品が良くても宣伝しないと売れない。建築もそれは同じだと思った。
SNSの活用法
谷尻さんは狭い業界にとらわれず、雑誌やSNSを活用して一般の消費者に活動をアピールしている。
メディアを駆使して信用・共感を高め、クライアントを獲得する好循環が生まれているように見えた。
1974年生まれという経歴からすると、必ずしもデジタルネイティブな世代ではないと思う。
しかしTwitterやInstagramを駆使して、何万人ものフォロワーを獲得している。なかなか真似できることではない。
一般向けの雑誌に露出する効果
谷尻さんは建築の専門誌以外に、ファッション・ビジネス系雑誌への露出も多い。仕事の受注につなげるためには、むしろそちらの方が重要でないかと思う。
日ごろメディアでよく見かけるおかげか、初対面でも不思議と親近感を覚えた。
話しぶりや身のこなしが柔らかくて、親しみやすいせいかもしれない。少なくともアカデミックな建築家の「先生」という印象は受けなかった。
主宰する設計事務所は東京と広島でスタッフ40名を抱える大所帯。100件以上の案件を同時に進めているという。個人の事務所でここまで規模の大きなところは、そうそうないと思う。
やはり肩書きで起業家と名乗られているように、建築設計だけでなく経営者として才能があるように感じた。
安藤忠雄と似ている気がする
安藤忠雄も直接お会いすると、大御所・大学教授というよりダミ声でしゃべりまくるフレンドリーな大阪のおっちゃんという印象だ。
「大学の建築学科を出ていない」という経歴を逆手にとって、「都市ゲリラ」と名乗って過激な作品を発表してきた経緯がある。
2017年に開催された国立新美術館の展示では、クライアントに向けて送った手紙や自作のプレゼントが展示されていた。
安藤さんは作家である以前に、顧客との関係づくりやコミュニケーションを重視している。エスタブリッシュな建築家であると同時に、抜け目のない商売人という一面もある。
何となく谷尻さんの活動からも、安藤さんの似たような雰囲気を感じた。普通に良い建築を設計しているだけでは、ここまで有名にはならなかったと思う。
おそらく各案件の裏側では、泥臭いセールスの努力やノウハウがあったりするのだろう。
『CHANGE』という新著は、その手口を垣間見せてくれる貴重な情報源だった。
『CHANGE』の感想
イベントの帰りにさっそく本のページをめくってみたら、おもしろすぎて一晩で読み終えてしまった。
内容としては仕事術やプレゼンのコツといったハウツーものが大半で、実作はほんの少し紹介される程度。思想書というよりも実用書に徹している。
建築の売り方に関する本
建築家の書く本にありがちな、難しい住宅・都市論や抽象的な議論はほとんど出てこない。
デザイナーやクリエイターだけでなく、普通の会社員が読んでも日ごろの業務に生かせると思う。
建築系の人が書いた仕事術の本といえば、西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』シリーズを思い出す。そちらは「どうやっていい仕事をするか」という、作家側の心理や方法論を掘り下げる議論が中心だった。
これに対して谷尻さんの本では「どうすればお客さんに売り込めるか」という生々しいテクニックが披露されている。ここまで営業の手口をさらけ出してくれる建築家の本は、今までなかったように思う。
未来のクライアントに向けた宣伝という面もありながら、同じ建築設計を手がける同業者に対しても十分参考になる。
紙媒体よりもnoteあたりで9,800円で売った方が儲かるのではないかと思う。ビジネスのやり方を学びたい人にとっては、そのくらい投資価値のある情報教材だ。
デメリットをメリットに変える
掲載されている作品の中で興味を持ったのは、2007年に竣工した広島にある個人住宅。
「お施主さんが事務所に(…中略…)ちょっとヤンキーっぽい車に乗ってきた」という感じで一連の経緯が紹介されている。
所員もおじけづくヤバそうな案件をあえて引き受け、「斬新な素材や技法を試せた」とポジティブな解釈に結びつけるエピソードがおもしろい。
本に掲載されている写真は、軒が切れそうなほどエッジが立った黒塗りの個人建築。かつてのキリンプラザ大阪のような悪のオーラが漂っている。
これに住む人は確かに普通でない。しかしよく考えると、クライアントの特徴やニーズを反映した的確なデザインといえないこともない。
建築顧客層の変化
15年前に流行った酒井順子の『負け犬の遠吠え』というエッセイには、「エリート女性は余りゆき、ヤンキー達の子孫のみが増えていく」と書かれていた。
生涯未婚率が2割近くに上がった今、これから施主になってもらえる可能性があるのは、インテリ層より不良の子どもたち。
設計で食べていくためには、センスのいいクライアントばかり選んでいられない。少々ガラの悪そうなお施主さんにも真摯に対応することは、ビジネスとして正攻法といえる。
顧客の性格は違っても、「ハウスメーカーの既製品に満足できない」という需要があるのは同じ。コンテクストをうまく生かせば、むしろ今までなかった建築を生み出せるかもしれない。
エグザイル系という新分野
隈研吾が1990年に書いた『10宅論』にたとえると、今ならミニマリスト、エグザイル、セカイ系といった新分類の顧客層が出てくるだろう。
もし作品を不良映画の金字塔『HiGH&LOW』のロケに使ってもらえたりしたら、一部のユーザー層には爆発的にヒットしそうな予感がする。これまで普通の建築家が相手にしてこなかった未開拓の分野だ。
アカデミックなアトリエ系の設計事務所は、この手の案件に関わりたがらない。たとえ手がけたとしても、実績には出さない裏プロジェクトになるだろう。
谷尻さんは火中の栗をあえて拾うことで、設計市場のすそ野を広げる役割を果たそうとしてくれている。
施主と建築家の利益相反
イベント中に谷尻さんが「建築家というのは、他人のお金で自分の好きな作品をつくる詐欺師のようなもの」とおっしゃられていた。
顧客ありきの受注産業なのに、作品を通してブランドを確立しないと売れないジレンマがある。施主とウィンウィンの関係を築けなければ、人をだまして利用するような側面がないとはいえない。
あえて指摘する人は少ないが、建築家の世界では常にそういう感じの後ろめたさがある。クライアントも交渉の過程で、一抹の胡散臭さに気づいていることだろう。
マーケターの森岡毅は、「広告代理店のクリエイティブがカンヌで受賞することなど、絶対にTVCMの目的であってはならない」と言っている(引用『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』)。
これと同じく物件を転売したいデベロッパーでもなければ、完成した作品が日本建築学会賞やグッドデザイン賞を受賞することなど、どうでもいい話だと思う。
施主と設計者の利益相反は根深い問題だ。
建築の両義性と難しさ
建築はクライアントの使う道具であると同時に、芸術作品にもなりえるという両義的な面をもっている。
後者の価値が認められれば、将来、文化財や観光資源に化ける可能性はある。しかし世界遺産になるようなモダニズム建築であっても、評価が確立するまで50年は要する。
建築をつくるにはお金がかかる。
投資してくれるクライアントやスポンサーがいなければ、作品を実現できない。そして建築がもつ文化的・歴史的価値を金銭に換算して説明するのは、とても難しい。
近代建築の保存運動を見ていても、建築業界の専門家と世間一般の人々の価値観はずれているように感じる。
先に自社ビルをつくる理由
そこで谷尻さんが斬新なのは、「まだ世の中にない建築を、先に自分でつくってみせる」と考えるところだ。
理想の建築を先につくって、それに共感してくれるクライアントを集めるというのは、効率の良いプロモーションといえる。
ホテルや食堂付きの設計事務所というアイデアは、お客さん以上にそこで働くスタッフにも喜ばれる。楽しげなコンセプトを詰め込んだ自社ビルをつくれば、営業にも採用にも役立って一石二鳥。
実際にはSUPPOSEくらいの事業規模がなければとれない「強者の戦略」ともいえる。
しかし建築家の自邸や自社ビルというのは、単に作品の完成見本であるだけではない。会社にたとえれば、事業計画上のビジョンやマニフェストに相当する効果的なPR手段だ。
規模や金額を問わず「セルフファンドで先に実例を示す」というのは、建築家のビジネスとして誠実なやり方に思われる。
謎の仕事道具の紹介コーナー
『CHANGE』を何度か読むと、各ページの内容はいずれもしたたかな戦略で裏打ちされていることに気づく。
たとえばこの本の終盤には、特に脈絡もなく谷尻さん愛用の仕事道具やバッグが紹介されている。整然とレイアウトされたきれいなカラー写真は、まるでファッション雑誌の1ページのようだ。
その中に映っているカラフルな万年筆は、書籍の41ページでも紹介されている。
説明どおりペンテル製だとすると、現在は手に入らないレアな一本。しかもクリップが取れたのか外したのか、微妙にカスタムされている。
さりげなく写っているポーチや財布、デジタル系のガジェットも、かなりこだわって選び抜かれた一品ばかりに見える。
写真の使い方を見習いたい
ふんわりと仕事の道具を紹介して、こういうミーハーな読者が食いついてくることは計算済みなのだろう。
ファンサービスの一環でもあり、親近感を演出してフォロワーを増やす仕掛けのようにも思われる。
建築模型だけでなく職場風景や小道具の写真が挟まれるので、働いているイメージがわきやすい。
ほかの建築家の本よりスムーズに読み進められるのは、そういう隠れた工夫があるおかげ。図面やダイアグラムばかり出てくる本など、普通の人は読みたがらない。
SNS時代のクライアントは、テキストより画像や動画を好む。『CHANGE』のレイアウトを見習って、ポートフォリオに作品以外の要素も入れてみたい気がした。
こうした繊細な演出まで参考になる良書。インスタの神は細部に宿る。
建築市場を拡張する試み
谷尻さんは「ライバルはスティーブ・ジョブズ」と豪語しつつ、みずから異端児を名乗る在野の建築家。
アウトローな雰囲気と商売っ気たっぷりな語り口が、独特の存在感を放っている。今の時代、EXILEのメンバーに推薦文を書いてもらえる建築家など、ほかに存在するだろうか。
谷尻さんが建築マーケットのパイを広げてくれたら、同業者も恩恵にあずかれる。
他の建築家とクライアントを奪い合うのではなく、「新たな顧客層を開拓していこう」というポジティブなメッセージを受けた。
建築家/起業家=職業・谷尻誠
『CHANGE』の語り口はマイルドだが、狭い業界でくすぶっている若手建築家、タコツボ化しがちな学術界に一石を投じる刺激的な本だ。
もし主宰する設計事務所が成功して株式公開でもすることになったら、後に続く世代にとって素晴らしいロールモデルになると思う。
肩書きは建築家/起業家。建築が得意な起業家と名乗るアニキの活躍に、今後も期待したい。