仙台城の観光ついでに市立博物館、戊辰戦争150年特別展レビュー

仙台市内に宿泊したら、たいてい一度は仙台城に散歩に出かける。駅からほんの3kmくらいの距離で、見晴らしの良い本丸跡にアプローチできる。

今は青葉城でなく仙台城と呼ぶ

昔は仙台市民に「青葉城」と呼ばれていたが、近年は「仙台城」と呼称が統一されたらしい。駅前の青葉通りに接続していることもあり、杜の都っぽい感じがして旧称でもよかった気がする。

ただ、静岡=駿府城のように県外の人からはわかりにくいので、仙台城と呼んだ方がブランディング上は有利だろう。城といっても、もともと天守閣はなく、残っていた門や櫓も空襲で焼けてしまった。巨大な石垣が当時の規模を物語るが、伊達政宗の築造から戊辰戦争まで、一度も戦火を交えることはなかった平和な城だ。

市内から仙台城に歩くルート

駅前のロータリーから続く青葉通りを西に向かうと、広瀬川を渡って仙台国際センターという会議場に辿り着く。図面ケースを背負って歩いているスーツ姿の人を見たので、学会でも行われているのだろう。

そこから堀が見えたところで、左に曲がれば仙台市博物館~巽門経由で坂を上れる。そのまま直進すれば、大手門経由で道路を上るメインルートになる。道すがら、博物館の隣にある残月邸という茶室も見学できるので、徒歩なら巽門経由の方がおすすめだ。

残月邸は旧姉歯家の所有物で、明治中期ごろに建設され何度か移築されている。めずらしい名字でスキャンダルになると、一族郎党うさん臭く思われてしまうのが気の毒だ。開館時間は無料で庭に入って見学できるので、紅葉したもみじを見ながら一休み。

魯迅の碑から巽門跡を抜けると、青葉山公園のきつい坂になる。大手門につながる通りに合流しても傾斜がきつい坂が続き、カーブを曲がると石垣が見えてくる。城跡にある細い道だが、通勤時間帯は八木山の方からやってくる車が多い。

この道を直進して城跡を抜けると、八木山橋という全国有数の自殺の名所が控えている。谷底を覗き込めば、ほぼ確実に死ねそうな落差のある渓谷で、心霊スポットとしても名高い。橋の欄干には、ものものしいフェンスが設置されている。かつての仙台城が、天然の要害を巧みに利用した平山城であったことがわかる。

仙台城跡からの見晴らし

広い階段をのぼると本丸跡に辿り着く。大広間の部分だけ、礎石と基礎が復元されて当時の規模を示している。眺めはよいが、坂を上り下りするのが面倒なので、藩主は下の二の丸で暮らしていたようだ。大広間には、松島の瑞巌寺と同じく藩主用の上段の間、天皇・将軍用の上々段の間が設けられていたとのこと。

城跡からは仙台の市街地を一望できて、天気がよければ海まで見える。右手に見えるひときわ高いビルは、2010年にオープンしたウェスティンホテルが入るトラストタワー。左手の山際には仙台大観音と呼ばれる高さ100mの立像がある。有料だが中を見学できて、仏像がたくさん展示されている。

昔の街並みを復元したVRアプリが公開されていたが、面倒なのでダウンロードしなかった。無料のWiFiスポットもあったようなので、設定すれば無料で落とせたのだろう。

展望台には、有名な伊達政宗の銅像も置いてある。青葉城本丸会館にある資料展示館は一般700円で見学できる。城をCGで復元した映像など見られて、そこそこおもしろい。

英霊顕彰館というのもあるが、まだ入ったことがない。「学校では教えない近現代の正しい歴史と感動の真実」という売り文句なので、靖国神社の遊就館的な展示施設だろう。

東北人必見の戊辰戦争特別展

通りがかった仙台市博物館にもついでに寄ってみた。ちょうど戊辰戦争150年記念の特別展を開催していて、平日なのに東京の美術館のような混雑だった。

幕末のエピソードの中でも、戊辰戦争における東北の戦いは、いまいち全国的に知名度が低い。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』でも、あっさりとしか触れられていなかった記憶がある。

会津若松城の激戦や白虎隊の悲劇は歴史小説になったりしたが、このとき仙台藩や伊達家が何をやっていたのかは、いまいちピンとこない。博物館の展示は全国から資料を集めたらしく、かなり充実した内容で勉強になった。

幕末はさえなかった仙台藩

当時の仙台藩の活動としては、新政府から会津征伐を命じられつつも、両者の和解を取り持つ中立的な立場だったように見える。しかし、会津藩の謝罪文書が鎮撫総督に却下されてしまったので、奥羽列藩同盟を組織して朝敵側に回ったようだ。

その間、会津藩と交えた戦線では互いに空砲を打ち合ったというエピソードもある。当時の仙台藩はそれなりに洋式装備で武装していたようだが、会津戦争では出番がなかった。赤黒リバーシブル軍服の額兵隊は、仙台藩降伏後に五稜郭に渡ったが、そこで活躍したのかどうかは説明されていなかった。

戦後の処分として、仙台藩は約半分に領地を削られ、責任者が数名切腹。東北各地の戦いでも、目立って活躍したという記録は見られない。近隣の会津藩に味方したまではよかったが、いまいち立ち回りが下手で損な役回りだったように見える。城下が戦場になるのは避けられたが、駒ヶ嶺や旗巻峠の戦いではかなりの戦死者も出たという。

衝撃隊の衝撃

仙台藩で唯一といっていいほど活躍したらしいのが、細谷直英という藩士が率いた衝撃隊(カラス組)というゲリラ組織だ。海援隊や白虎隊に比べるとマイナーな部隊で、今回の展示を見てはじめて知った。ネーミングのセンスは奇兵隊に匹敵する。

隊長の写真はひげ面の坊さんなので、晩年に僧となってから撮影したものだろう。戦争前から仙台藩の隠密として働き、ヤクザや猟師を動員して新政府軍に夜襲を仕掛けたという逸話がある。戦後も新政府の追跡をかわして生き延び、さらに日清戦争でも隊長になって中国に渡ったという。

東北出身で幕末の人物としては破格の活躍ぶりなので、小説や映画のネタになってもよさそうなものだ。大河ドラマ風でなく、同じく仙台藩が舞台の『殿、利息でござる!』みたいな切り口がちょうどいいと思う。