川崎昌平さんの『無意味のススメ』という本を読んでみた。
無意味について真剣に考えるという、意味のない本だ。レビューすること自体やはり無意味かもしれないが、感想らしきものを書いてみたい。
無とはいったい……うごごご!
無意味の定義、2つの用法
『無意味のススメ』という題名のとおり、本書ではひたすら無意味について考え、無意味を味わう方法論が展開されている。
まず「無意味」というのが何なのか定義しないと話がかみ合わない。本のコンセプトは「無意味」だが、著者はコトバの意味や論理までは放棄していない。
おそらく著者の頭の中では、無意味という用語が以下の2つのレイヤーで使われている。
- 本当の意味を実現するための、方法論としての無意味
- 意味-無意味という二項対立を超越して自立する無意味
順番にみてみよう。
1. 方法論としての無意味
もし本書が文字通りの無意味さを目指しているだけだったら、出版されて人目に触れることはなかっただろう。
誰にも読まれない日記でも書いた方が、より無意味さを追求できたと思う。
無用の用
著者が普通の考え方とは違う「無意味の意味」を伝えようとしているのは明らかだ。
本書の役割は、つまるところ無意味を自分にとっての意味あるものとするための思考や行動を説くところにある。
川崎昌平『無意味のススメ』
本の中には「無意味の価値」「無意味の効果」「無意味の効用」といった言葉がたびたび出てくる。ここで想定される無意味の意味とは、老子のいう「無用の用」に近い。
なかに物を入れるための容器のような概念だ。中身=意味がないことによってこそ、本来の役割を果たすことができる。
意味という強迫観念
川崎さんが無意味の効用として想定しているのは、「いったん意味を外してゼロベースで考えてみよう」というアイデアではないだろうか。
現代社会では「生産性」という言葉に象徴されるように、ひたすら意味のある行為だけが推奨されている。
有名になる、お金を稼ぐ…といった卑近な目標だけでなく、社会の役に立つ、幸せを求める…といった高次の目的も意味を裏付けしている。
これらの価値規範(エートス)は資本主義社会における公理なので、疑うことも証明することもできない。何かの行動が称賛され推奨されるときは、必ずそこに意味があることが前提とされている。
この強迫観念を突き詰めると、著者の言葉でいえば我々は「意味の廃人」にされてしまう。
短期的無意味という長期戦略
こうした即物的カルチャーのデメリットとして、目標が近視眼的になることが挙げられる。
生産性向上を目指して環境を破壊し続ければ、いずれ地球上のエコシステム自体が破たんしてしまう。
中長期のスパンで考えれば、あえて短絡的な意味を求めない方が目的に到達することもある。たとえば「利益を度外視して顧客満足を最大化した方が、長期的に商売はうまくいく」といった具合だ。
無意味というのは、目標達成のため本当に効果のある行動を考えるための手段になりえる。
「一見、無意味に見えるけど、実は意味がある」…意味ある無意味という矛盾は、このようにして成り立つ。
2. 自立的な意味での無意味
その一方で『無意味のススメ』では、一切の有用性を放棄したような無意味の概念についても語られている。
ニヒリズムとの違い
著者の考える無意味は、似たような概念である「ニヒリズム(虚無)」とは違うと主張されている。
ニヒリズムとは対象の否定というあくまで能動的な行為。相手を認めて尊重したうえで、あえて否定する。
「ともあれ相手なくしてニヒリズムは成立しない」
これに対して無意味は「単体で存続しうる」と説明されている。
対象の否定でも肯定でもなく、ただ単にそこにある自立した概念。
つまりここでの無意味とは、有意味の対概念としての無意味ではなく、二項対立を超越した存在が想定されているように思う。
それが現実に可能なのかどうかは不明だが、維摩経に出てくる不二法門(ふにほうもん)のようなイメージだ。なにか仏教的なアイデアに感じられる。
現代アートとの類似性
著者の川崎昌平さんは東京芸大の大学院を出て、出版社で編集の仕事をされている。
2007年の流行語大賞トップテンに選ばれた『ネットカフェ難民』という本を出したことでも知られている。
そして2019年の新作『無意味のススメ』は、エッセイのかたちをとった現代アートのような雰囲気だ。
決して哲学書や宗教書のような堅苦しさはない。むしろ「意味のなさ」を徹底的に追及するパフォーマンスによって、どこか可笑しさやユーモアを感じさせる作品といえる。
本の装丁に関しても、特に意味なく途中でページの材質が変わったりして、思わずニヤッとしてしまう。
巻末で著者が河原 温(かわら おん)のコンセプチュアル・アートを見たときの衝撃について触れている。これが本書を解読するヒントになる。
読者にとっての意味
河原 温のDate Paintingのシリーズ”OCT. 31, 1978”などは、キャンバスにただ日付だけを描いた作品だ。一見したところ、それ以外の意味はない。
川崎さんの解釈によると、
「そもそもそうしたアート作品自体が私たちの理解を欲していないのです」
「無意味と感じたところをスタートラインとして、思考を積み上げれば、いつしか自分にとっての価値を見出せるのです」
現代アートが理解不能なのは当然であって、それを恥じたり怒ったりする必要はない。
むしろ作品に「わかりやすい」意味が設定されていないことによって、鑑賞者が自由に意味を想像できる。現代美術とは日常会話とは異なるコミュニケーションの手段なのだ。
本書もそのように読まれることを想定しているように思う。
『無意味のススメ』は決して世俗的な意味や価値観を否定してはいない。ただ自立的な無意味の提示によって、読者が自分なりの意味を考えることを助けてくれる。
そう考えると結局「有意味-無意味を超越した無意味」というのはあり得ないのかもしれない。少なくとも標準的な日本人にとっては、そういう一神教的な存在や世界観をイメージするのが難しい。
ひとコマ漫画が使える
この本は著者の川崎さんが描いたキャラクターや1コマ漫画がたくさん出てくる。
正直なところ無意味についてとうとうと語る文章は読みにくい。しかしマンガがあるおかげでだいぶ救われている。
今は文章より画像と動画
SNSが普及した現代では、テキスト主体の書籍やウェブサイトは分が悪い。
あまりにもメディアに情報があふれているため、ユーザーは手っ取り早く内容がわかる画像や動画を好むようになった。
いま流行るのは本や雑誌よりもマンガ、テレビや映画よりもYouTube、ブログよりもツイッターやInstagramといった感じだ。
そうは言ってもテキストは情報を圧縮して伝えられる効率よいメディア。自分が生きているあいだにハードコピーが絶滅することはないだろう。
ただし読者の便宜を図るために、文章にイラストやマンガを挟んで読みやすくする工夫は取り入れてもいいと思う。
イラストが超絶うまい
『無意味のススメ』のようにテキストとマンガを交互に繰り返すスタイルは、これから流行りそうな予感がする。
本書で登場する、ふてぶてしい見た目の女の子キャラは著者の定番。なぜかネクタイを締めていたり、触角のような線が頭から出ていたりする。
背景のほとんどないミニマムなイラストは、アート作品のようにも見える。
余白の摂り方が絶妙なバランスなため、文章パートとメリハリがついてテンポよく読み進められる。
やはり著者の芸大大学院出身という経歴は伊達でない。シンプルなイラストだが、真似して描いてみようとしても全然さまにならない。
ブログでも使えるテクニック
ときどきマンガを挟む手法は、文章量の多いブログでも使えそうだ。
キャラのセリフが入ると読みやすい
こんな風にね
川崎さんのようにうまい絵は描けないが、ちょっとした吹き出しとセリフを挟むだけで、だいぶマシになる気がする。
キャラクターそれ自体に意味はないが、忙しい読者に要点やキャッチコピーだけ伝えられる。文章に適度に余白を空けて、目を休める効果も期待できる。
現代アートによる癒し
『無意味のススメ』には「〈意味〉に疲れたら、〈無意味〉で休もう。」と副題がついている。さながら現代アートの手法を用いたセラピーといえる本だった。
ちまたにあふれる自己啓発本とかツイッターの煽り文句とか、意味のごり押しに疲れたら読んでみるといいかもしれない。
癒しを目的とした意味のありげなサービスよりも、なにも言わないアート作品の方が心を癒してくれる場合もある。無意味のススメはオススメ。