ハーバード・ビジネススクールの教授、クレイトン・クリステンセンの著作。日本語訳は2001年に刊行され、2011年に増補改訂版が出ている。
昔参加していた起業関連の勉強会で、講師の方がよく引用されていた。キャズムやブルー・オーシャンのように、中身は知らなくてもタイトルの用語だけ一人歩きしている感がある。
難しそうな経済学の本に見えて、読んでみると内容はごくシンプルだった。産業界で繰り返される「破壊的イノベーション」という現象において、なぜ既存の優良企業は新興勢力に太刀打ちできないのか。その理由はまさに企業が「優れている」からという逆説が痛快だ。
この手の本を読む人は、勉強熱心なビジネスマンが大半だろう。そして技術が世代交代する時期にあっては、優秀な組織ほど失敗しやすいというのがこの本の言う「ジレンマ」である。
この矛盾に薄々気づいている人にとっては、読み応えある本だと思う。そして問題提起だけでなく、非常に具体的な対処法まで提案されているのが特徴だ。
持続的/破壊的イノベーション
本書の前提として、新技術(イノベーション)は2種類に分けられることになっている。
- 持続的技術…既存製品の性能を引き上げる改良(例:ハードディスクの容量アップ)
- 破壊的技術…原理や規格が根本的に異なる技術(例:ハードディスクの小型化)
ここで注意すべきは、「破壊的イノベーション」というのはパラダイムシフトと呼ぶほど劇的な転換ではない点だ(例えばPCやHDD自体がすたれるというような)。制御するのは難しいが、原理的に予測・対応不能というわけでもない。
既存の大手企業が得意なのは、もっぱら前者の持続的技術、製品改良の方だ。そして後者の破壊的技術は、ベンチャーや中小企業がリスクを負って開発するものという一般認識がある。
しかし本書によると、破壊的技術はむしろ大企業の内部で発明されることもある。
例えばヒューレット・パッカードは1.3インチの超小型キティホークディスクドライブを、他社に先駆けて開発していた。思わぬところから大量購入の打診もあったのに、なぜHPはキティホークの販売をやめてしまったのか。そこに深刻なジレンマがある。
優秀であるがゆえに失敗するジレンマ
大企業が破壊的技術のマネジメントに失敗する理由は、大企業の構造そのものに由来している。いくつか挙げられている根拠をまとめると、
- 既存顧客と投資家の意見を尊重する必要性→常識外れな事業は評価されない
- 市場が小さいと目標成長率を維持できない→ハイエンド市場から新興市場に移行できない
- バリュー・ネットワークの束縛→変な部品は採用されない。販売店が扱ってくれない
既存の優良企業がすぐれているのは、現在主流の技術や市場ですぐれたパフォーマンスを発揮できたからである。持続的イノベーションが続く限りは、顧客のニーズに対応して地道に製品を改良していく方法でやっていける。
そして破壊的イノベーションが訪れると、大企業の方法論はかえってあだになる。既存顧客のニーズやバリュー・チェーンに最適化しすぎたがゆえに、破壊的技術の新市場に移ることができない(リスクが大きい、インセンティブな少ない)。
まさに「文明はそれが興隆した理由によって滅びる」(『”無思想の発見 “』養老孟子)
破壊的イノベーションは制御不能なのか
これは、「ベンチャー起業家が必ずしも一般的な優等生とは限らない」現象と類似している。特に日本の場合、一流大学を優秀な成績で卒業した学生がいるとして、彼は官僚や弁護士になるか大手企業にすんなり就職した方が、生涯年収の期待値は高いと予測される。
HPの事例のように、大企業も内部で破壊的技術を開発していたりはするが、他社に先駆けて市場を開拓するのは内部的な障害が多すぎる。もし失敗した場合(新市場に失敗はつきものである)、プロジェクト担当者の査定に響くというミクロな要因もある。
持続的・破壊的イノベーションの繰り返しは、生物が進化してきた過程にも似ている。恐竜は当時の環境に過剰に適応しすぎたために絶滅した。哺乳類が生き残ったのは、たまたま恐竜が滅びて有利になっただけである。
「進化」というのは目的を持って行われたのではなく、遺伝子が淘汰された「結果」に過ぎない。それならば破壊的イノベーションとは本質的に、制御不能・適応不能なカタストロフィーなのだろうか。
組織の方法論が通用しない理由
本書の後半では、既存企業がいかにして破壊的技術と新市場の勃興に対応するかという方法論が提示されている。失敗しがちな理由が論理的にクリアーなので、その対策も説得力がある。
まずは組織の大きさがネックになるのだから、破壊的技術を扱う部署は本社と切り離して独立した小チームで構成すべきだ。スカンクワークでもスピンオフでもよいので、最初の売上が小さくても大企業の評価基準でネガティブに判断されないよう配慮すればよい。
「組織」とは本来、特定の方法論を反復強化して効率化するために発生するものだ。そのため、組織が巨大化して最適化され生産性が増すほど、破壊的技術に臨機応変対応しにくくなるというのが、経営者にとってのジレンマである。
不可知論的マーケティング
次に、新規事業は失敗することが宿命なので、何度も試行錯誤できるようにリソースを残しておくのがベターだ。
特に担当者やマネージャーのキャリアに傷がつかないようにすること。失敗を前提として「学習しながら試し続ける」こと。「発見指向の計画」ないし「不可知論的マーケティング」という方法論が提案されているのは興味深い。
最後に、破壊的技術における最大の課題は技術的なものでなく、マーケティング上のものである場合が多いとされている。
最初にリリースされる破壊的製品は、既存製品に比べてスペックは見劣りする。既存のマーケットでは評価されないので、新製品を好意的に受け止めてもらえる新しいマーケットを開拓しなければならない。
それは、うまみのある主流顧客を見捨てることにつながり、また新市場というのは既存の市場調査的アプローチで発見することが難しい。メーカーとして研究開発よりマーケティングに主眼を置くのは不慣れなので、著者は「破壊的技術に新技術はいらない」とまで警告しているほどだ。
電気自動車の事例研究
本書の事例研究で電気自動車が扱われているのは慧眼といえる。刊行から20年経った今、市場の発展を振り返ってみることができる。
仮に自動車メーカーのマネージャーとして、電気自動車の開発・商品化を担当する場合の考え方が説明されている。本書の主張に従えば、「電気自動車を使える市場を見つけることがわたしの仕事である」。そしてエンジニアとして常識的に想定される「バッテリー技術の改良(1回の充電で長距離走れるようにすること)」はボトルネックでないと喝破されている。
この本が出た当時、自動車メーカーのEV担当者はこぞって参考にしたことだろう。その結果、破壊的イノベーションとしての電気自動車は適切な顧客と市場を見つけて、「技術のSカーブ」変曲点を超えることができたのだろうか。
新市場はむしろ電動バイクだった
街中を見渡して、そのあたりを走っている電気自動車はごくわずかである。日産のリーフか、ごくまれに都心でテスラを見かけるくらいだ。過渡期においては、電気自動車よりハイブリッド車の方が顧客に受け入れられやすかったということだろうか。
むしろEVが爆発的に普及したのは2輪というマーケット。中国でまたたく間に電動バイクが主流になったのは、まさに破壊的イノベーションという感がある。すると著者がシミュレーションした自動車メーカーのEVマネージャーとしては、「2輪の電気自動車」という新市場を開拓することが正解だったとも考えられる。
ホンダやスズキ、BMWのように2輪も4輪も製造する企業は存在する。しかしそれ以外の自動車メーカーにとって、2輪市場に新規参入するのは上述の「バリュー・ネットワーク」制約が大きいと予想される。
自動車業界は、本書で取り上げられたディスクドライブ業界(ショウジョウバエにたとえられている)ほど栄枯盛衰が速くない。20年というスパンではまだ持続的イノベーションが主流で、「あえてEV市場に参入しない」という戦略も正解だったかもしれない。
もう20年くらい先になれば、ようやく新市場に適応できた/できなかった企業とその戦略が判明して、新しい本が書かれるようになるのだろう。