17歳女子高生と45歳ファミレス店長の純愛を描いた、眉月じゅん作のマンガ『恋は雨上がりのように』。連載完結しアニメの放送も終わったところで、タイミングよく実写映画化されることになった。
中年男性陣の間ではひそかに話題になっていたマンガ。4月にJR車内で広告も出ていたので、一般的にも認知されたと思う。
設定だけ聞けば、よくある「年の差恋愛もの」に見えるが、男性側から見ればプラトニックな純文学、主人公の友達関係か見れば爽やかスポーツマンガと、多面的に読み取れる。それらを2時間の映画で表現すると、果たしてどうなるのだろうか。
映画の日なのに客席はがら空き
6月1日金曜夜、仕事が終わってから料金が安い映画の日に観に行ってみたが、20時台開始の最終回はガラガラだった。イオンシネマは株主カードでいつでも1,000円で観られるところ、わざわざ割高なネットで座席予約してから臨んだのだが、その必要もなかった。
観客は男性一人客が5名くらい、年齢不詳(女子高生ではない)の女性グループ3名くらいで、予想通り男比率が高かった。この内容と連載がスピリッツだったことからして、ティーン向け映画とし考えるのは無理がある。もし何かの間違いで高校生カップルが映画館に観に来たとしたら事故だ。
(以下ネタバレ)
久保さんが美人すぎる以外は原作通り
予告編を見て期待が高まった理由が、映画版の出演者は原作マンガそっくりだという点だ。セリフも90%くらいそのまま再現されているので、ここまで原作に忠実な実写化映画というのもめずらしい。
主人公・橘あきら=小松奈菜の配役は、現時点でこれ以外考えられない。個人的には太田莉菜くらいクールな感じのモデル出身女優でないと務まらない気がしたが、さすがに17歳女子高生役というのはきつい。村上龍『69』映画版に出ていた14年前なら、ばっちりだっただろう。
ほかのキャスティングも文句のつけようがないが、あえて違和感を覚える点を挙げれば、喜屋武(キャン)はるかが色白すぎるのと、バイトの久保さんが美人すぎるくらいだろう。久保さんのビジュアルが補正されているのは、実は後述の映画版オリジナル結末のための伏線だったともいえる。
店長が普通にモテそうに見える
店長・近藤正己=大泉洋は、マンガ版より眉を上げたり顔の表情が豊かになった印象を受ける。もっと朴訥として無表情な方がキャラに合っていたと思うが、店長のユーモラスな側面が強調されて、映画としては観ていておもしろかった。
店長のカジュアル服が原作よりおしゃれになっているのも、映画版の特徴だ。おっさんくさい変なグラフィックのトレーナーは出てこず、デートの時もさわやかな白シャツで裾もズボンから出して着ている。ショルダーバッグは地味だがそこまでセンス悪くなく、一瞬見える裏蓋のロゴを見るとブランドはバーバリーあたりに見える。
近藤の服装は「45歳男性のキモさ」を強調するキーアイテムだったが、そのまま実写化するとさすがに見苦しすぎたのだろう。10円禿げも表現されていなかった。
客観的に見ると、「小説を書いている」という趣味もあるし、バツイチ子持ちで「一度は結婚できたくらい良識もある」という安心感もある。こんな店長がいたら、普通にモテそうだと思うのは自分だけだろうか。
マンガより店長がまともに見えるのは、ラストで昇進話が出る伏線だったともいえる。最終的にあきらは陸上、店長も仕事で出世して、それぞれ前向きに進んでいる感が出ていた。原作マンガよりも、さらにポジティブな結末だったと言える。
映画版でうまく補足された要素
そのほか、映画版でマンガ原作からプラスされた細かい要素を挙げてみる。
- 倉田みずきが競技場で初めて橘あきらを見る場面、松葉杖を着いてアキレス腱治療中という設定になっている(そしてあきらを目標にリハビリに励んだというシナリオに)
- 店長の自宅にテレビがあり、つけると「飲食店従業員がわいせつ罪で逮捕」というニュースが流れる
- あきらの母親がフリーランスの税理士か会計士という設定
- 店長の離婚の理由が「家族そっちのけで小説にのめり込み過ぎて」と明かされる
- 久保さんの店長に対するつっこみ追加「くさいです」「ゴミ以下です」
- 久保さんがラストで店長の小説を読んで「ふ~ん」と感心する
- 店長があきらに「もうお店に来なくていい」的なことをはっきり言う
- ラストで店長が本社に呼ばれ「昇進するかも」という話が出る
映画は原作に忠実だが、さすがにキャラのつぶやきやモノローグまではしゃべらせていない。例えばあきらを病院に運ぶときの店長の微妙な逡巡「これはセクハラでは…ナイッ!?」など。
そのため、どうしても表情や間合いだけでは表現しきれない原作の機微を、上記の追加演出がフォローしているように思う。特に店長が離婚した理由が、明確に「小説のせい」と片づけられたり、砂浜であきらに「もう来なくていい」と告げるあたりは、短時間で腑に落ちるストーリーにまとめるための工夫だろう。
マンガ版ではそのあたりを敢えて伏せて、含みを持たせているのが奥ゆかしいといえる。映画版は相当アレンジして「わかりやすさが増した」方向に振った感じ。それでも店長の「君が俺の何を知っているの」など、肝になるセリフは(場所は事務室で背中越しでなく店長の自宅だが)、ちゃんと押さえられている。
店長が久保さんといい感じに?
以上の変更点により、ラストシーンは原作になかった2つの方向性を示唆するオープンエンドになっている。
- あきらと店長が、友達としてメールをやり取りするところから、また関係を再開する
- 久保さんが店長を見直して、二人の仲が急速に深まる
1はよい。まあさわやかな終わり方だ。
問題は2。マンガでは年増バイトの久保さんにツッコミ役以外の役割はないが、映画版ではやけに美人で、しかも店長の世話女房ぶりが強調されている。最後に事務室で店長の小説を見つけて読むシーンも、妙に思わせぶりだ。
久保さんが独身なのか、その年齢は映画でも触れられていないが、マンガ版で九条ちひろが最初、久保さんと店長がカップルなのか疑うシーンがある。現実的には、文学青年でロマンチストの店長と、リアリストで手際のよい久保さんが再婚するとバランスよさそうに思う。
映画版オリジナルの結末としては、「店長=あきら=久保さんの三角関係」に発展しそうな予感で終わった。あきらと店長元妻の接触はマンガ版ではあるが、映画ではそこまで触れられず、その分、伏兵久保さんの活躍が目立った。
横浜市内、ロケ地の考察
映画で出てくる陸上トラックは、おそらく三ツ沢競技場だろう。横浜で公式大会があるとすればまずここだ。インターコンチネンタルホテルやみなとみらい21地区も背景によく出てくる。橘あきらの自宅がこの付近だとすると、東京のお台場に住んでいるくらいセレブな母子家庭といえよう。
陸上部が走っていて店長の車とすれ違う河川敷のラストシーン。場所的には鶴見川かと思ったが、町田市の源流までたどっても、こんな草っぱらの気持ちがいい風景は思い浮かばない。
エンドクレジットで我孫子市の協力が出ていたので、ここだけは千葉県の利根川でロケしているようだ。荒川や利根川の土手沿いサイクリングロードなら映えるが、地元の一級河川、鶴見川は工業化されすぎて残念ながら絵にならない。