三菱一号館美術館で開催中の「オルセーのナビ派展」を見学してきた。場所は丸の内の東京国際フォーラムのすぐ近く。東京駅から歩いて行ける距離にあり、出張のついでにも寄りやすい。
2014年にフェリックス・ヴァロットンの展示を見てから、この美術館はおかしいと思っていた。モーリス・ドニやピエール・ボナールをすっ飛ばして、まさかいきなりヴァロットンの回顧展とは…。
ヴァロットンの20、30、49歳の自画像があったが、構図もポーズもほとんど変化しないで、顔だけ老けていく定点観測なのがおもしろかった。くすんだ背景の色がまさにナビ派だ。
見たことのない作品ばかりで感激したが、ちょっとしたマーケティングテストだったのかもしれない。ヴァロットンが好評だったのか、とうとうオルセーからナビ派大全集とでもいうべき名作コレクションが来日した。
ナビ派が好きでオルセー美術館に行った
ナビ派の画家には個人的に思い入れが強い。絵の趣味は変わるものだが、ナビ派が好きなのは20年くらいずっと変わらない。
17年前にオルセー美術館を訪ねたときも、ボナールやヴュイヤールの名作をひたすら模写して過ごしていた。パリに来たらルーブルやポンピドゥーより真っ先にオルセーに向かう。
海外の美術館では撮影OKなところも多かったが、当時はデジカメもなく、フィルム代を節約するため滅多に写真を撮らなかった。代わりに気に入った絵はよくスケッチしたので、かえって1枚の絵や風景をじっくり観察できたと思う。
ついに実現した日本初のナビ派回顧展
本展の予告を知ってから楽しみにしていたが、ナビ派を特集した展覧会は日本でも初めてとのことらしい。
浮世絵に影響を受けた平面的な装飾画とか、スーパーフラットに通じる気もして「いつか流行るのでは」と思っていた。ボナールの絵を国内の展示で見かける機会も増えてきた。
ヴュイヤールのファミコンのドット画のような群像描写など、20世紀に抽象画が生まれる前の「ぎりぎり具象に踏みとどまっている」過渡的な感覚が興味深い。題材も部屋の中とか公園の素朴な風景ばかりで、ちょっとひねくれているが、印象派が好きな日本人なら気に入ってもらえそうな気がする。
丸の内のナビ派展は平日でも大混雑
どうせ地味な展覧会だろうし、思い切り空いている時間に行こうと思って平日の午前中に丸の内に向かった。しかし東京駅から歩ける便利な立地だからか、予想以上に人混みで溢れていた。
狭い館内で騒々しく世間話しながら練り歩くシニアのグループが多くて、ちょっときつい。まるでランチタイムのファミレスのようだ。
鉛筆とスケッチブックも持参したが、あまり落ち着いてもメモできる環境でなかった。昔オルセーで描いた絵がスキャンして残っていたので、以下の画像はほぼ当時のもの。海外の美術館なら、色鉛筆とかインクを使っても咎められなかったと思う。
ゴーギャンの生き様に影響を受けた人々
展示は予想通りゴーギャンから始まる。自画像と静物画1枚ずつだが、ナビ派に影響を与えた画家としてゴーギャンは外せない。
「株の仲買人をやめて画家になった」とか「タヒチで現地妻を囲って客死した」とか、ゴッホと共同生活するくらいぶっ飛んだ人だから、まわりの画家への影響力もすごかったのだろう。
自分もゴーギャンの生涯を描いたサマセット・モームの『月と六ペンス』を読んで、いつか商売から足を洗って絵でも描いて暮らそうと思っていたら、実際そうなった。そのうちタヒチとまではいかないが、波照間島くらいに移住してサトウキビを刈りながらブログを書いて暮らしたい。
ちなみに京都に「月と六ペンス」という渋いカフェがあり、地元の知り合いに連れて行ってもらったことがある。観光客も少なく、落ち着いて読書できる京都らしい喫茶店だった。
シャヴァンヌを受け継ぐドニとヴュイヤール
ナビ派の中でもドニとヴュイヤールは、ゴーギャンよりシャヴァンヌの影響が強いと思う。
シャヴァンヌの色彩をもっと青白くして、平面的にのっぺりさせるとドニの絵になる。宗教的なテーマが多いのも共通している。淡い色合いのドニの絵を見ていると、MOTHERのマジカントを思い出す。Caravan ”In The Land of Grey and Pink”のジャケットも似たような色彩感だ。
ヴュイヤールはシャヴァンヌのくすんだ土気色を受け継いでいる。カビの生えたフレスコ画のような茶色~黄土色~ベージュの微妙なグラデーションは彼にしか出せない。これは浮世絵というより、水墨画のわびさびの世界だ。
展示の説明を読むと、デトランプと呼ばれる膠を溶いた絵具で描かれているらしい。厚紙の上に重ね塗りしすぎてくすんだ色合いはBoards of Canada。「普通のポップアルバムが太陽に20年さらされた感じ」と表現できる。
オルセーからシャヴァンヌの「貧しき漁夫」も来ていたら、もっとよかったと思う。空は晴れているのに、夜明けなのか夕暮れなのか灰色がかった色彩で描かれる薄暗い世界観が、ヴュイヤールに通じている。
各作家の代表作が一堂に会す貴重な体験
ドニの「ミューズたち」、ボナールの「庭の女性たち」4連作、ヴュイヤールの「公園」5作、そしてヴァロットンの「ボール」。およそナビ派の画家の代表作と思われる絵がすべて集められているのがすごい。パリに行かなければ、国内でこれほど一度に鑑賞できる機会はないだろう。
ドニのミューズと同じ展示室にあるパネル画を見比べていて、地面に落ちる木の影が、壁紙の模様のような抽象的なパターンに変化しているのに気づいた。ちょうどボナールの女性の服の模様が、イラレのスウォッチを適用したような2次元パターンなのと似ている。女性の輪郭もシャヴァンヌより柔らかくて、一目でドニとわかる特徴がある。
ボナールの縦長の女性像は浮世絵そのものだ。ヴィイヤールやヴァロットンの不安をあおる奇妙な構図に比べて、ボナールの絵はバランスよく感じる。クロケットの絵で、植木の暗がりに黒い格子模様の服を着た女性がいるのは一見わからなかった。平面的な構図の中にも遠近感が重層しているのがおもしろい。
ヴュイヤールの公園は、ナビ派の「ぼそぼそ感」が一番よく表れた作品だ。地面の草や木々の花が、点描法でもなく「自然に劣化した」としかいいようのない筆さばきで描かれている。青空もシャヴァンヌのように、限りなく無彩色に近いブルーだ。
ヴァロットンのLe Ballonは小さい作品だが、ほかのナビ派作家と違う個性がよくあらわれている。人物のパースと木の描き込み・彩度で、ジョルジョ・デ・キリコのような強烈な遠近感があるが、遠方の2人がビビッドすぎて不安に感じる。
少女の左にある丸が何なのか気になっていたが、目を近づけてみるとこれもボールだとわかった。絵の前が空いていて唯一スケッチできたが、17年前より下手になったようだ。
ヴァロットンは、ナビ派が狙ったアンティーク感というか、年月を経て味が出た壁画のぼそぼそした感じを捨てて、浮世絵の鮮やかな色を参照しているように思う。ナビ派の中でもパキッとした配色は後年のエドワード・ホッパーを彷彿させる。
「髪を整える女性」で、画面の左隅に人物を置いてしかも顔を隠しているとか、棚を開けて後ろを向いているよくわからない女性の絵とか、ヴァロットンの絵は具象的だが、何か奇妙だ。Twitter企画の「ナビ派の誰派?」で、ヴァロットンが「斜め視点のこじらせ系男子」と紹介されているのは言い得て妙である。
オルセーにないナビ派の絵を見てみたい
ヴュイヤールの「公園」シリーズは全部9枚あり、オルセー所蔵で来日しているのはそのうち5枚だと知った。Googleで画像検索して、これかなと思う絵がいくつか見つかったが、残りは世界中に散らばっているようだ。いつか9作品がパズルのように合わさって、一度に観られたらいいなと思う。
ナビ派の中でも「よくわからなさ」No.1のヴュイヤールが、昔から一番気になっている。ヴュイヤールの中でもヴァロットン風なThe Goose(がちょう)という作品が簡単そうだったので、アクリル絵具で模写して部屋に飾っていたこともある。
ほかの作品より妙に明るい色使いで、ファミコンっぽいから好きなのかもしれない。オルセーにも実物はなかった気がするが、private collectionとのことなので見られる機会はなさそうだ。
パリ郊外のモーリス・ドニ美術館もおすすめ
海外の美術館に長居していると、スタッフの人が声をかけてくれて仲良くなることが多い。
オルセー美術館で熱心にスケッチしていたら、「モーリス・ドニの美術館があるのを知ってるか?」と聞かれ、サン・ジェルマン・アン・レーにあるドニの自宅兼アトリエを紹介してもらった。電車で行ったのか、どうやってたどり着けたのか不思議だが、結構大きな建物が美術館に改装されていた。見たことがないドニのステンドグラスがあったりして感激した覚えがある。
ドニの美術館にはナビ派の他の作家もそろっているので、本展が気にったらパリ観光のついでに寄ってみればいいと思う。