待ちに待った『ブレードランナー2049』上映。いつでもイオンシネマが1,000円で観られるようになった株主優待オーナーズカードを生かして、混雑を避け平日の夕方に行ってみた。
とりあえず最初の感想は「長い」…終わってみたら3時間くらいあったようだ。映画を観る前にイオンのラウンジでドリンクを飲みまくっていたので、終盤は膀胱との戦いだった。しかし我慢してエンドロールまで全部見たら、思わぬサプライズもあった。
(以下ネタバレ)
旧作を知らないと楽しめない
前作の30年後の世界、『インターステラー』のように気候変動で荒廃した世界観のもと、スモッグで黄色くかすんだ砂漠を、主人公がずっとさまよっているような印象だった。ロスの猥雑なダウンタウンは旧作の雰囲気を引き継いでいるが、LAPDやウォレス社のインテリアは『ガタカ』や『オブリビオン』のように洗練されている。
ハリソン・フォードの再登場以外にも、旧来のファンをよろこばせる演出がいくつかあって飽きることはなかった。逆にオリジナルの『ブレードランナー』を知らなければ、「訳の分からない暗くて長い映画」にしか見えないだろう。海外では批評家の評価は高いものの、興行収入はいまいちだったというのもうなずける。
ブレードランナーはマトリックスやアバターとは違うテイストのSFだ。マッドマックスのように「旧作を知らなくてもなんかすごくておもしろい」という過激さもない。適度にラブストーリーやアクションシーンも散りばめられたハリウッド映画だが、予備知識なしに見て楽しめるかというと疑問だ。逆に旧作ファン向けのサービスは期待以上だった。
ガフやレイチェルまで登場する
序盤でデッカード警部の同僚が老人ホームでインタビューされるが、折り紙をつくるところから旧作のガフであることがわかる。前日譚の短編アニメを見ると、ガフの発言によりデッカード・レプリカント説が99%肯定されているようだ。
前作でレプリカントのヒロインだったレイチェルも、本作では死後にまたクローンとして登場する。「レプリカントのレプリカ」というパロディーだが、CGにしては精巧すぎるのでそっくりさんだろうか。
ジョジョ張りのリーゼントに肩パッド入りまくりの時代がかったスーツ姿。さすがに2049では違和感あり過ぎたのか、すぐに処刑されてしまう。レプリカントの失敗作を「処分する」シーンは他にも出てきて、「モノ・製品」としての位置づけが強調されている。
ジョーが死ぬラストシーンがやけに長いと思ったら、背後に流れているBGMは旧作と同じくヴァンゲリスの”Tears in Rain”だった。2049のサントラにも収録されている。旧作の敵アンドロイド、ロイは死に際のセリフが有名だったが、本作のジョーは無言だった。
ここまで来ると、ファンサービスも行き過ぎて媚びすぎな感もある。しかし映像や音楽は現代風にアレンジされて、古臭いという印象はなかった。バランスの良いリメイク作品だったといえる。
レプリカントは人間と呼べるのか?
今回は冒頭から主役のブレードランナーがレプリカントと明かされている。コードネームはK、のちに授かる名前はジョー。ここでイニシャルがMとかQだと007を連想してしまう。Kといえば何となくカフカを思い出すが、原作のフィリップ「K」ディックから取られているのかもしれない。
基本的には前作に引き続き、「人間とレプリカントの違いは何か」というテーマが問われている。しかし「主人公のブレードランナーもレプリカントなのか」という課題からもっと突っ込んで、「レプリカントもここまでくると人間と呼べるのか」という疑問に発展している。
主人公はやたら強くて「傷口も簡単にふさがる」という特徴以外は、ほぼ人間として描かれている。攻殻機動隊のように自分の記憶の実在性について悩み、「レプリカントの子どもを守る」という大義に目覚めて殉死する。ある意味「人間以上に人間らしい」レプリカントといえる。
2049の世界では、人間のクローンなど簡単に作れる時代だろう。思考も感情も人間並み(むしろそれ以上に「人間」らしい)のロボットが大量生産されて市民権を得たら、彼らこそが進化した人類だといえないこともない。それでも人間とレプリカントを隔てる客観的な指標として、作中では「生殖能力の有無」が鍵とされている。
レプリカント同士の抗争がテーマ
前作ヒロインのレプリカント、レイチェルが子供を産んだ設定になっている。父親のデッカードがレプリカントだったかどうかはさておき、ラストで正体が明かされるアナ・ステリン博士の眼球に製造番号がプリントされている描写はない。
レプリカントの生殖機能は、ウォレスにも開発できなかったタイレル社の企業秘密である。ウォレスがその子どもを見つければ、リバースエンジニアリング(解任)して秘密がわかるのだろう。逆に人類にとっては最後の優位性が失われる危機なので、ロス市警のマダムは子どもの存在自体を抹消しようと必死である。
大企業も警察も含め、もはや誰が正義かわからない世界。その中でデッカードとアナの親子を、影武者のジョーが身体を張って守り抜くというストーリーが肯定的に描かれている。人類は大半が宇宙のコロニーに避難してしまって、地上に残っているのはアル中の刑事や貧民層ばかり。
すると2049は、荒廃した地上に残された、レプリカント同士の抗争を描いた作品ともいえる。
登場人物は全員レプリカント?
振り返ってみると、作中出てくる人間はジョーの上司のジョシ(マダム)か、ウォレスだけだった。娼婦のマリエッティも人間かと思ったが、フレイザの一味なので旧型レプリカントだろう。登場人物はほとんどスキン・ジョブ(レプリカントの蔑称)で、ネクサス8型と9型の世代間バトルが描かれている。
いや、酒飲みで感情的なマダムも自分が人間だと思い込んでいるだけで、ウォレスも眼球に疾患を抱えており、どちらもレプリカントだったのかもしれない。ジョシは同僚をかばうというより、ジョーが特別だと知っていてラヴの追跡から逃がしたのだろうか。人類の恩人であるはずのウォレスも、実はレプリカントだったと考えると、フレイザとの派閥争いにも納得がいく。
仮説だが、ウォレスが実は「かつて脱走したネクサス8型の一味」と想定するとおもしろい。
フレイザ率いるレジスタンス一派は「レプリカントの子ども」を錦の御旗に、人類に戦いを挑むターミネーター軍隊を組織している。一方のウォレスら穏健派は、従順なネクサス9型を開発して人類との共存を図りつつ、彼らの労働力に依存させることで弱体化させようという目論見だ。
宿敵ラヴの解任シーンに涙
ウォレスの秘書役で登場する2049版レイチェルのラヴはかっこよかった。最新のネクサス9型で抜群の戦闘力をそなえ、人間も殺せるよう制限解除されている。「レプリカントの子供を守る」という大義に目覚めたジョー同様、主人のウォレスに絶対的な忠誠を誓うラヴには、単なる悪役とは思えない魅力がある。
「ジョーがレプリカントの子供である」という筋書きは、物語の中盤でやたら強調されたのでフェイクだと感づいた。もしそうなら、味方のはずのサッパーが本気で主人公を殺そうとするのも変だし、ウォレス社にコンタクトした時点でばれそうだ。
運命の子どもが実は女の子だったと明かされた時点で、ラヴがそうだったらいいなと思った。旧作よろしく、ジョーとラヴの駆け落ちで終わる2049もありだったろう。
しかし、終盤でジョーに対して白兵戦を挑んだ時点で、ラヴに死亡フラグが立ってしまった。主人公が宿敵を肉弾戦で倒すのはお決まりのシナリオだ。レプリカント同士の戦いなら、腕からサイコガンを発射するとか、目から怪光線でも出していれば賑やかだっただろう。2049もわかりやすくなり、興行収入を稼げたと思う。
海中に沈められたラヴの目線にカメラが置かれ、自分の吐く息が途絶えて絶命すると、水面が穏やかになってジョーの顔が見えてくる。その後数秒やや長く、オフィーリアのように水中に漂うラヴの死に顔が映される。最強のレプリカントなので、再起動してまた襲ってきそうなドキドキ感をかもしだす効果的な死なせ方だった。
レプリカントとAI彼女
一方、本作のヒロインという意味では、ジョーの恋人役であったジョイを挙げるべきだろう。『her』のサマンサと『マイノリティ・リポート』のホログラム技術を合わせたような仕組みで、エマネーターという装置を用いるとオフラインで持ち運べることになっている。
人造人間のタフガイとAI女の子というコンビは、二瓶勉のマンガによく出てくる。『”BIOMEGA”』にはレプリカント向けの疑似記憶デザイナーという設定もある。かつてのブレードランナーに影響を受けた映画やマンガを、2049が逆輸入して総括しているような印象を受けた。
ジョイもエマネーターをヒールで粉砕されて、ラヴ様に消去されてしまう。再登場しそうな予感もあったが、内容が盛りだくさんすぎて3時間では収まらなかったのだろう。2049のディレクターズカットや完全版が出たら、ウォレス社の技術でサルベージされて復活することを期待したい。
ウォレス社の内部空間がすごい
前作ブレードランナーは、ストーリーと並んで都市空間の斬新な描き方が評価されている。漢字が入り混じった無国籍風のサイン。超高層ビル群と、その下に広がる猥雑なストリート。いわゆるサイバーパンクの代名詞として、後代のアニメやマンガに多大な影響を与えた感がある。
『2049』の空間デザインとしては、特にウォレス社のインテリアが印象的だった。ナチスのトーチカか、土木構造物のようにマッシブなコンクリートの中に、ナトリウムランプのような黄色い光が差し込んでいる。
太陽の動きを早回しするように、照明の角度が変化して、セリフをしゃべっている人の顔が暗くなったりする。ラヴの居室や、方形の島と飛び石が配されたホールでは、水面に反射した光が壁と天井にゆらゆらと模様を描いている。
殺風景なロスの街並みや刑事の部屋に比べ、宗教施設のように洗練されたインテリアがウォレスの富と権力を象徴している。序盤でレプリカントの製造番号を問い合わせる受付カウンターの風景からして尋常でない。建物内の黄色いシーンが出るたび「これはすごい」とテンションが上がってしまった。
水の張られたホールは、GearVRのメニューパネルが浮かぶホーム空間にちょっと似ている。新造レプリカントが、革張りの床の上にボトッと落ちてくる必要はなさそうだが、出産の痛みとか恐怖、儀式めいた雰囲気をうまく表している。
水面のきらめく部屋で、HMDでドローンの爆撃を制御しながら、微動だにせず部下にネイルの手入れをさせているラヴ様の迫力がすごい。狭い自宅でも、照明を白熱灯に代えて、水槽でも置いて真似したくなるようなインテリアだ。
実在する似たような建築といえば、コルヴュジェのサン・ピエール教会あたりだろうか。打ち放しコンクリートの壁面を、太陽光を投影するスクリーンとして利用している。
ポール・ヴィリリオ設計のサント=ベルナデット教会(Church of Sainte-Bernadette)も、夕日が差し込むとウォレス社のような空間になりそうだ。
実はシド・ミードも関わっていた
エンド・クレジットを何気なく眺めていたら、Concept ArtistにSyd Meadという名前が連なっているのに気づいた。その後、Special Thanksにも再登場していたから間違いなさそうだ。旧作ブレードランナーで独特の世界観を描き出した大御所シド・ミードが、実は2049にも参加していた。
続編のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はリドリー・スコットへのリスペクトを表明しているし、シド・ミードがデザインに関わったとなれば、本作の映像クオリティにも納得がいく。監督をはじめ、裏方では若い世代のスタッフが大勢関わっているはずだが、各所に旧作へのオマージュが散りばめられ、敬意が表されている。
次は『ブレードランナー2098』か
いろいろと回収されない伏線が多かったので、次回作も十分にあり得る。勝手に想像するなら、24年後、98歳になっても筋肉隆々のハリソン・フォードがデッカード役で登場するのは間違いなしだ。あるいは本人のレプリカントが演じるかもしれない。
ジョーとジョイの子どもをめぐって、ウォレス財閥とフレイザ率いるスカイネット社が争奪戦を繰り広げる。LAPDはできそこないの量産型ペッパー警部で参戦し三つ巴の戦いになる。次のテーマは「AIは子供を産めるか」だ。クローンを製造した方がよっぽど合理的だが、なぜかレプリカントは懐妊の奇跡にこだわる。
未来から味方として送られてきたターミネーターのラヴが、ジョーの子どもの護衛役として奮闘する。
ワタシノナハ、ラヴ。アナタヲマッテイタ。ワタシノチチハじょー。ウチュウノハテニツレテイカレモドッテキタヒト。アナタヲマモル。ワタシノツトメ。
(ファミコン版MOTEHRより)