18きっぷで旅行中に、たまたま東京駅で見かけた建築の展覧会。乗換時間に丸の内側の北口改札をうろうろしていたら、ギャラリーの入り口が目に入った。駅舎が改装されてギャラリーができたとは聞いていたが、ここにあったとは今まで知らなかった。
平日の日中で閑散としているように見えたが、中に入ると意外と人が多かった。それほど広くないギャラリーなので、この調子では休日はとんでもない混雑になっていることだろう。
建築界の刑事コロンボ
新国立競技場の新デザイン案で、一般的にも知名度がぐっと上がった感のある隈研吾氏。今では丹下健三、安藤忠雄と同じくらい、街中の普通の人にも知られていると思う。
仕事的にも絶好調なのか、旅行していて思わず作品を見かける機会が多い。東大キャンパス内のユビキタス館や湯河原駅前の広場など、「なんかスノコっぽい」ものがあると、たいてい隈研吾作だったりする。
昔から著作も多い理論派という印象で、『10宅論』は名作だと思う。アトリエ建築家の作品やハウスメーカーの製品も含めて、「無印派」とか「ミニマル派」とか消費者目線でアカデミックな分類を試みているのが痛快だ。ファッションと違って住宅のスタイルは息が長く、不思議なくらい好みが分かれるので、今読んでも十分におもしろい。
2004年の『負ける建築』くらいから、アンチ・モダニズムなコンセプトが前面に打ち出されてきた。ある意味、ザハ・ハディドのように「説明不要な造形美(強そうな建築)」の対極にあるコンセプト。新国立競技場もきっと地中に埋めたかったはずだが、おそらく工期や費用の関係でなしになったのだろう。
見た目も伊東豊雄や妹島和世みたいに、イッセイミヤケ、コムデギャルソンのばりばりデザイナーズ風でなく、まるで刑事コロンボのようにクタッとしたジャケットを着こなしている。そんな隈さんが長年取り組んできた自然素材に対する取り組みを集約したのが、今回の展覧会である。
あらゆる素材で実験しまくり
「くまのもの」というタイトルが意味する通り、竹・木・紙・石・土というマテリアルをモチーフにして、代表的な作品が並べられている。「空間」とか「プログラム」とか難しい要素は端折って、まさに「モノそのもの」というテーマが分かりやすい。
木・石・土は伝統的に使われてきた素材だが、竹と紙を大々的に使った建築というのは目新しい。実は終盤で金属や化学繊維の作品も出てくるので、エコロジーやサステナビリティが目的というわけでもなさそうだ。あくまで20世紀以降の近代建築が切り捨ててきた自然素材や、新素材を使ってなんかやってみよう、という奔放な実験精神が感じられる。
本展は模型も図面も撮影可能というめずらしいルール。ただシャーペンでスケッチするのはダメだったようで、鉛筆を貸してもらえた。
貫禄の精密模型と実寸サンプル
素材がテーマとあって、各作品の模型も緻密に作りこまれている。先日、国立新美術館で見た安藤忠雄展のように「実寸コンクリート模型」までは出てこないが、スチレンとかバルサ材なんてチープな材料は使わない。プレゼンや展示に向けて模型製作チームを動員できる、大御所の格の違いを感じさせる。
冒頭の竹コーナー、中国のGreat Wallという模型では、1/50スケールで超リアルな竹のルーバーが表現されていた。近寄ってみると、紐に結び目を作って竹材の節を表現しているようにも見えるが、一体どんな模型材料を使っているのか見当もつかない。
大宰府のスタバはひし形の木材が3次元的に組み合わさる複雑な構造だが、これの模型はレーザーカッターで切り出されていた。さらに実寸模型もある。木コーナー以降の石や土でも、ファサードの一部だけ本物を再現したサンプルが多く、建築全体より「こだわりのディティールを見せたい」という意図が感じられた。
素材が本物
場所によっては(多分本物の)苔が使われていたりする。美術館としては虫とかカビとか湧いて敬遠されそうだが、惜しみなく天然素材が陳列されている。
浜田醤油の「やたら組み」竹材では、節の中にエポキシ樹脂を充填してボルト留めするテクニックが裏側から披露されていた。各作品の舞台裏では、膨大な実験が繰り返されているのだろう。毎回こんなに斬新な素材や工法を開発しながら、きっちり作品も実現できているというバランス感覚がすごい。
各コーナーにある説明文では、「木は編みやすく変形する素材=クラウド状の建築」や「格子やルーバー=太陽光をカットするデバイス」と、知的に横文字で解説されている。単に「自然はいいなあ」という素朴な心情だけだったら、伝統的で無難な工法が選ばれていたことだろう。敢えて異素材ともいえる竹や紙を使い倒してみたクレイジーなところが、隈建築の醍醐味といえる。
たまに変なのもある
作風が実験的であるため、ときには「これ失敗では?」と思われるものもあったりする。東大ユビキタス館の壁は、何度見ても押し入れや風呂場のスノコにしか見えず、有名建築家の作品というオーラが感じられない(あるいはそれが狙いなのだろう)。
瓦をワイヤーで中空に吊っている仕掛けや、無錫の太湖石を模した金属パネルも、何となく無理やりな力技という印象を受ける。遠くから見れば抽象的なパターンに見えるかもしれないが、近寄ってみると瓦そのもの。どちらも中国の作品なので、直喩的な表現がクライアントに喜ばれたのだろう。
これだけ実作が多いからには、マーケティングや売り込みもうまいに違いない。自治体向けのコンペ案を見たことがあるが、いかにも行政や地元の関係者が喜びそうな、わかりやすいイラスト満載でサービスたっぷりという感じだった。
作風がないという作風
これだけ作品が蓄積されてくると、素材ごとの系統図が描けるらしい。プロジェクターで投影している全作品一覧コーナーでも、実は壁面に立体的なアクリルパネルが仕込んであったりする。
映像の投影面まで物質性にこだわる隈さんだが、実は愛知万博の頃は東大の廣瀬通孝教授と組んで、HMDベースのバーチャル展示を提案していた。その後、教授の趣味で鉄道模型が走り回るマニアックな自宅を設計したり、振り幅の大きさが懐の広さともいえる。
90年代初頭には、M2やドーリックという強烈なポストモダン建築も作っていて、よく話のネタになる。M2の葬儀場は今でも駅の広告に出ていたりするが、これが新国立競技場の人の作品だとは知る人も少ないだろう。
『負ける建築』というように、均質性やモニュメント性というモダニズムの概念には一貫して反対しているように見えて、案外そうでもなさそうに見える。そういうこだわりのなさというか、融通無碍なスタイルが21世紀的なのかもしれない。クライアントとしても親しみやすそうだ。
炭素繊維の隠し味
隈さんの物質試行はまだ実験段階なのか、イベント用の仮設展示やファサードのみのデザインが多かった気がする。熱海のカフェで、一見ものすごくアンバランスな傘状の木造屋根が構想されていたが、実は内部から炭素繊維のワイヤーで引っ張るというアイデアだった。
小松精練の新ファブリック・ラボラトリー、屋根から炭素繊維で縫い付けたような構造は、以前雑誌で写真を見て「これはやばい!」と戦慄が走った。
いかにも普通のオフィスビルがクモの巣で押さえつけられたようになっていて、実用上は邪魔でしょうがなさそうだ。しかし、耐震補強のテクニックとして汎用性がありそうだし、見た目もクリストの作品みたいでカッコいい。個人的には歴史に残る名作だと思う。
次は異素材のハイブリット
国立競技場の客席スタンド屋根も一見木造だが、鉄骨とハイブリッドなトラス構造で防火規制をクリアしている。素材感重視でも、決して木造原理主義でなくコストや法規と折り合いをつけているところが絶妙だ。安藤忠雄=打ち放しコンクリート、伊東豊雄=3次元曲面というように、ビジュアルな作風がパッと思い浮かばないのもフレキシブルな証拠といえる。
これだけ普通でない素材を知り尽くしてきたのだから、今後は各素材を組み合わせた超高層や巨大構造物というのが、隈さんの得意技になっていくのではなかろうか。今は一点ものの工芸品という感じだが、坂茂の紙管ユニットのようにシステム化して拡張可能になるとよりおもしろい。
ところどころ、昔のレンガ壁がむき出しになっている東京駅のギャラリーは、今回の展示にぴったりのロケーションだった。東京駅自体の鑑賞も含めて、建築が専門でない人と一緒に見ても十分楽しめる展示だと思う。