最近よく地元の市民図書館に行くが、平日の真昼間でも意外と人が多くて新聞の取り合いになったりする。たいていはリタイアしたシニアだが、たまにスーツを着たサラリーマン風の男性や、自分のように正体不明な中年も混ざっている。
図書館の経済・ビジネス系コーナーには、就職・面接のノウハウ本、業界研究などが多く揃っている。おそらく、家にいると迷惑がられるニートや無職の図書館難民に対して、再就職とまっとうな社会生活への復帰を促すような、更生施設としての役割が期待されているのだろう。仕事関連のマンガとして、ゴルゴ13も推薦図書に並んでいる。
その中に混じって「開き直ってフリーでやっていきましょう」という感じで、個人事業やノマドワークを勧める本も置かれている。
個人的に思いあたる節もあり、何となく気になって「ノマド」とタイトルに付く本を3冊ほど借りて読んでみた。
『ノマドワーカーという生き方』立花岳志
どちらかというと、ノマド文化について体系的に考察するというよりは、プロブロガーの生活を紹介するという内容だった。検索して調べ物をする以外に、他の人のブログをこまめにチェックする習慣がないので著者については知らなかったが、有名なブロガーらしい。
「広告収入を得るための記事は書かない」「ビジネスベースの特化型ブログでなく、総合的に書く」というのは共感できるが、ウェブサイトを見るとそのわりには広告や自著の紹介が多すぎて読みにくい。ライフログ系のキャプチャ画面も多くて、睡眠時間とか食べた物とかどうでもいいよ、という気がしてくる。そういうログ的な情報はFacebookやTwitterに適していて、わざわざブログ記事にするほどではないのかも(食べた物ばかりのフィードとかは速攻ブロックするが…)。
生活情報を記録するアプリを使っていれば、コンテンツは毎日生成されるので記事化しやすいが、特に著者のファンでなければ情報としての価値は薄いだろう。その意味では、どんな記事を書いても読まれる(あるいはどうでもいい記事でないと公開しにくい)有名人のブログに近いスタイルと思う。逆に一般人でもここまでブランド化できた成功例といえるか。
「会社を辞めてフリーになったが、かえって時間が足りなくなった」というくだりは、自分も同じ境遇になってみて、まさにその通りだと感じる。強制的にやるべき仕事がなくなっても、それまでできなかった事業のアイデアとか趣味がどんどん出てきて、意外と忙しい。…単に「貧乏暇なし」というだけかもしれないが。
『ノマドライフ』本田直之
冒頭から「単なる仕事術のノマドワークとは違う、ライフスタイル全般に関わるノマドライフだ」で始まり、最終章は「ノマドライフは心のあり方だ」で終わる、なにやら怪しげな本だ。
90年代までの「モノの所有」というスタンダードから、「モノを節約・選択」するノマドライフへの移行。自分の心境としては共感できるが、世界的なムーブメントとして定着しているかというと、まだそんなことはない。いまだに家や土地を買う人もいるし、生産手段が固定されていて移動できない人もいる。
ノマドとは、著者のような一部の特権階級だけの趣味のように感じられるが、引用している老子のように、歴史を振り返ればいつの時代にも存在していた隠遁・諦念思想と同じかと思う。ただし、テクノロジーを活用して他人とコミュニケーションを図り都心の仕事もばりばりこなす新しいライフスタイルで、旧来型の田舎暮らし・自給自足とは違う「ネオシンプル」だというのが本書の主張である。そう考えると「ノマド」という言葉も土着的な遊牧民という原義よりは、何か新しくてかっこよさげなコンセプトに思われてくる。
著者の趣味としてトライアスロンが紹介されている。「個人競技でありながら複合的でノウハウが必要なので、チームを組むのは有効。ただし拘束しないゆるい組織として」というのは、フリーランスの便宜的な集合である組合組織のよい例えと思う。
『ノマドと社畜』谷本真由美
「ノマドブームは、一昔前に流行ったサラリーマン向けの起業セミナーと同じで、デジタルな香りのする新手の貧困ビジネス」とばっさり切って捨てるのが痛快な書物。いかにもノマド向きな広告・コンサル・ライター・デザイナー業は産業全体の1%にも満たないレッドオーシャン、と無知な若者に警鐘を鳴らしている。
問題提起はおもしろいのだが、著者がイギリス在住で、やたらと欧米の個人主義を礼賛していたり、英語教材の紹介が出てくる後半はどうでもいい内容だ。「イギリスの中でも自由主義の移民がアメリカを建国した。そういう歴史風土で鍛えられた世界のノマドワーカーと伍していくには、日本のノマドなど鼻たれのへなちょこである」とう論調を読んで、なるほど、ノマドにもエスタブリッシュされた高等遊民がいるのか、と気づいた。
スタバで作業するお金もない自分は、さながらノマドの貧困層だろう。いや、下流老人とか無職中年とか「語りえぬ存在」であるよりは、ニートとかノマドとか横文字で呼ばれる方がまだ救われる気がする。
ノマド思想の元祖は黒川紀章?
ノマド文化を考察するにあたって、昔読んだ黒川紀章の本を思い出した。60年代メタボリズムの全盛期から、まさか都知事選の立候補で再び脚光を浴びるとは思わなかった。
ノマドという言葉は30年以上前からアートや建築の分野では使われていた。アーキグラムやウィーンのアバンギャルド、「プラグイン」的なインスタレーションは、まさに現在のデジタル系ノマドの走りだったと思う。
ワルター・ピッヒラーのTVヘルメットは、最近のモバイル型HMDでもっとスマートに実現できる。「家に縛られずどこでも生活・仕事できる」というコンセプトが、デバイスやインフラが整って、ようやくアートから実世界に普及してきた印象だ。そういう意味では「ノマド」は一時的なバズワードと思われがちだが、今後もライフスタイルの一派として静かに続いていくと思う。