一級建築士という資格を取る意味~リタイア後に考えるいくつかの利点

法規から構造力学まで、やたらと広い分野の知識を問われる学科試験。時代遅れの手描き図面を、謎のブラックボックス採点ルールで裁かれる実技試験。建築士の受験勉強は、過酷で理不尽なことばかりだ。

その上、資格を取ったからといっても飯の種にするにはほど遠く、むしろ持っていて当たり前といわれる業界。安い給料を工面して専門学校に何十万と貢いでも、受かるという保証はない。

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退職後にあえて資格を取る理由

大学受験より気が滅入りそうな資格試験だが、長い人生、暇さえあるなら取り組んでみたいと思える理由もある。若い頃に見たドラマやマンガの影響で、単純に「建築家になればモテる」と考えていた。世間の風当たりはますます厳しくなっているが、建築家という仕事は、今でもカッコいいのだろうか。

別に資格を取ったからといって仕事がバンバン振ってくるわけでもない。博士の学位のように、費用対効果の薄い「足の裏の米粒」的な国家資格の一つといえよう。

別に今から設計で生計を立てて行こうという気はないが、宅建を取るよりは頭の体操になりそうな気もする。リタイア後のフリーランスが、あえて今から建築士取得を目指す理由を挙げてみよう。

人に説明しやすい職業

卑近な理由だが、初対面で自己紹介する際に説明しやすいというメリットがある。世間一般にはMBAとか博士号よりわかりやすいだろう。ステータス的には医者や弁護士に劣るが、人によってはクリエイティブで楽しげな仕事に思われるかもしれない。

親戚とかシェアハウスの隣人、合コン相手に職業を説明するときに、フリーランスだと肩身が狭いことがある。プログラマー、会社員、経営者…何とでもいえるが、一抹のうさん臭さはぬぐいきれない。社会的に名の通った職業や肩書を持ちたいというのは、ドロップアウトして見なければわからない心情だ。

「建築家と建築士の違い」というのは「建築と建物の違い」くらいのものだろうか。実際、資格を持っていても設計に携わらない人は多い。

役所の営繕課でも賃貸情報のウェブサイトを運営する人でも、とりあえず資格があれば素人に認めてもらいやすい。むしろ「世間にハッタリが効く」という効用の方が大きいかもしれない。マンションの管理組合にも有資格者がいれば重宝されること間違いなしだ。

キムタクも瀧君も建築家

時代を問わず、建築家という職能は何かフリーでロマンチックな商売と思われているようだ。マンガや映画、小説などのフィクションに出てくる建築家は、たいてい地味なサラリーマンと対照的に探偵業のようなワイルドなキャラクターとして描かれている。

映画『君の名は。』で、主人公の瀧君が建築業界を志望していたのを覚えている人は多いだろう。大学の受験勉強に励むかたわら、部屋にやたらとうまい建物のスケッチが飾られている。しかも建築家の作品というより東京ビッグサイトとか組織事務所の地味な作品が多く、その後ゼネコンらしきところに就活する様子が描かれていた。

90年代のテレビドラマでキムタクは建築家役(協奏曲)だったが、2010年になると家具メーカーの社長役(月の恋人)に代わった。どちらも職人肌のクリエイターという役回りで、スーツを着ているイメージはない。いまどきなら建築家よりコンサルや投資銀行を目指す方がよっぽど稼げそうだが、夢がなくてドラマにならないのだろう。『月の恋人』でも、キムタクは結局会社を辞めてデザイナーとしてやり直すという筋書きだった。

また、90年代に流行った『ママレードボーイ』という少女漫画がある。たまたま家で妹が全巻揃えていたので、読む機会があった。作中でボーイフレンド役の松浦遊とホモ関係を疑われる先輩、三輪悟史。そのオチは「父親が建築家」という話だった。ガウディのサグラダ・ファミリアは、このマンガのおかげで有名になったといえる。

オッサン泣かせのママレードボーイが、なんと2018年に実写映画化されたらしい。受験勉強のモチベーションアップにぜひ見に行ってみたい。

もっと古い文芸作品でいえば、アイン・ランドの『水源』の主人公ハワード・ロークは建築家である。インターナショナル・スタイルのフランク・ロイド・ライトといった感じで、とにかくイケメンに描かれている。ゲイリー・クーパー主演、映画版の『摩天楼』ではまるでスーパーマンのようだった。ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるキリーロフも、職業は建築技師である。

老後も仕事ができる

大器晩成型の建築家として有名なルイス・カーン。代表作の一つ、イエール大学アートギャラリーは50歳の作品である。ソーク研究所、キンベル美術館、ダッカ首都大学を設計したのはその後60代を過ぎてから。建築家は定年を気にせず老後まで働ける職業の一つといえる。

住まいに関する知識というのは、歳を取るほど蓄積されていくように思う。20代の若造が茶室や数寄屋を設計するなんてまず無理だろう。他の業界と違って、如実に年の功というのが表れる業界だ。

LIFE SHIFT』でいわれるように、これからは寿命100年の時代。たしなみの一つとして建築士の資格でも持っておけば、何か老後の仕事や趣味に役立つ可能性はある。

逆に考えると大御所がいつまでも引退しないので、若手が干されてデビュー年齢がますます高齢化するだろう。未来のルイス・カーンは90歳で花を咲かせるかもしれない。

入札資格を得られる

自治体の建築工事では資格や実績が問われることが多い。前の会社で国交省の競争入札参加資格審査に応募してみたが、売上額や会社規模を集計してかろうじてDランクに引っかかった。資本金1億もないような中小企業には、大工事の受注はまず無理である。

システム開発の過程で、箱モノの入札に絡む機会もある。現実的にはJVを組むとしても、チームの中に有資格者がいると話が通りやすいということもある。設計というより施工監理できることが重宝される場面もある。

死ぬまで学べる

建築業界は磯崎新や伊東豊雄など、70~80後半の怪物のような大御所が現役でしのぎを削る熾烈な業界だ。アトリエ系の建築家を志すのは、芸能人やオリンピック選手、大学教授を目指すより狭き門といえるかもしれない。

少なからず構造力学の知識、美術的なセンスだけでなく、マネジメントや政治手腕も問われる職能だ。ローマ時代の建築家ウィトルウィウスは、建築家に求められる技能を以下のように定義している。

建築家は文章の学を解し、絵画に熟達し、幾何学に精通し、多くの歴史を知り、努めて哲学者に聞き、音楽を理解し、医術に無知でなく、法律家の所論を知り、星学あるいは天空理論の知識を持ちたいものである。

ウィトルウィウス『建築十書

高校生の頃にこれを読んだときは、無鉄砲にも「やりがいありそうな仕事だ」と思った。

あらためて考えると、ゼネラリストでかつスペシャリストという無茶苦茶な要求である。今ならついでに、ITやソフトウェアの知識も必須というところだろうか。最近のアルゴリズム設計なんて凡人には理解不能だ。

クライアントが個人、民間企業、官公庁と多岐にわたるので、普通のシステム開発やコンサル業よりも勉強する必要がある。子育てしたこともないのに保育園を設計するのは難しそうだし、暗黙知のような人生経験まで問われる世界だ。逆に勉強が好きでたまらない人なら、死ぬまで知的好奇心を満たしてくれる愉快な職業といえよう。

歴史に名前を残せるかも

欧米ではアーキテクトとシビルエンジニアリングが区別されるので、建築家の社会的地位はもっと高い。日本でも大工の棟梁はリスペクトされる職業だったはずだが、今や建設現場は3K代表のようなところとみなされている。腕の立つ大工はまだ個人事業で採算が取れそうだが、組織の末端にいる設計士は3K以下の奴隷階級で、いずれAIに仕事を奪われてもおかしくない。

子供の頃遊んだ人生ゲームに「建築家」という職業があった。給料は医者やパイロットに遠く及ばず、学校教師と同じくらいだった記憶がある。世間のイメージと実情は異なるが、うまくやれば、一般人でも丹下健三や黒川紀章みたいに有名になれるかもしれない。一縷の希望が新規参入者を下支えしている。

ピラミッドみたいな実作を作れば何千年も名前を残せるし、「死んでから再評価される」可能性もある。建築家も芸術家の一種だと割り切れば、志すメリットもあるだろう。有名な建築家には、どこかメガロマニアックというか誇大妄想・偏執狂的な性格の人が多いように思う。

リスクヘッジとしての副業

厳しい要求水準と熾烈な競争、そして人口減少や構造不況という背景を考えると、若い人に建築家を目指すことはおすすめできない。しかし、床屋や料理人と同じく、文明が続く限りすたれることはない商売なので、逆張りで挑んでみる価値はある。

むしろ流れの速すぎるIT業界にいると、建築業や不動産業のようなレガシーな職業に憧れるときもある。仕事の幅を広げるというより、ある種のリスクヘッジとして、建築業界に絡んでおくのも戦略の一つと言えそうだ。

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